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2011年4月23日土曜日

大きくなった腫瘍、そして史上最悪のトリプル災害

なんと前回のブログから4ヵ月も経ってしまいました。。

その間、パパの誕生日もあったし、年末年始もあったし、、いろいろありました。
忙しさに追われ、疲れていると余計疲れるという悪循環も発生、ブログアップする気力すらなく。。
あげく、つい1ヶ月前には世界でもまれに見る最悪な東日本大震災が、、。

下記、途中まで書いていたもののずっとドラフト状態だったものを、時間軸はおかしいですがとりあえずアップしました。

↓↓↓

その時私は東京のオフィスにいました。
ざわめきが起こり、びっくりして外へ皆避難しました。

今までに経験したことのない大きな地震。2回も外に避難したし、
結構長いこと外にいましたが、中に戻るとそれほどの被害はありません。
部長の小さな本棚が倒れていたくらい。
その時はまだ、あんなに大きな震災だったなんて思いもしなかったな、、
あちこちで被害が大きくなって、いろんな情報が入ってくるにつれ、不安は少しずつ大きく、、。

携帯や電話が混雑して繋がらなくなった中、Tがすぐにtwitterで連絡をくれ、
その後交通手段が全部断たれてる、迎えに行くから動かないで待ってて!と。
歩きやすい靴と上着、手袋を持って、チャリで迎えにきてくれました。
そして二人で歩いて帰りました。
車で旦那さんが迎えにきた子は、道路が混んでたのでなんと会社に着いたのが夜の9時とかだったそう。
3、4時間歩いて帰った方が多い中非常に恐縮ですが、3、40分で地元に着きました。まだまだ元気です。
このときもまだ、ニュースで津波の映像すら見ていませんでした。
ご飯を食べに入ったお店でついてたTVを見て唖然。。
まるで911をTVで見たときのような、映画を見ているかのような実感のなさ。
リアルだとは思えない光景でしたね。。

その夜はさすがに、非常袋を玄関に用意して、玄関のドアは開け、外に出れる格好でロングダウンを着込んで、TVの前で床に転がって寝たのでほとんど寝れなかったです。。
ガスも止まってたのでシャワーも浴びれずだし。(これは翌日、facebookを見ていたら同じような人がいて、振動を感知して自動で止まったものだったということがわかり、無事に開栓できました。。)



1週間が経った東京では、すでに大分落ち着いていたと思います。
計画停電にも余震にも備えつつ、さすが秩序のある日本人というか、すでに元の生活に皆戻りつつありました。
原発には世界が恐怖におののいてますが、日本はあくまで冷静に、そして必死に対処しています。情報開示が遅いと非難もされましたが、アメリカや特にイギリスの報道のように騒ぎ立てて下手に恐怖をあおってパニックを引き起こしてはいけないと、必死に冷静を保ちつつ対処していこうとしていたのは、なんとも日本人らしい部分です。
買い占め騒動はいただけなかったですけどね、、


枝野官房長官は常に国民に報告して、不眠不休な日々。
アメリカで、政界のジャックバウアーだとも言われました。
ジャックを生んだアメリカに言わせるなんて、すごい。

PrayforjapanというTwitterでの感動するつぶやきを集めたサイトもでき、混乱が起きないどころか助け合う日本人を賞賛する海外のニュースだけでなく実際海外の取引先からも日本人のモラルの高さを褒めたたえるメッセージを多数いただき、久しぶりに、、日本人を誇りに思ったのでした。
震災の被害は計り知れないけど、日本は完全に一つになったと感じました。。


ずっと流れる震災の状況や増え続ける死者のニュースを見て、パパは日記に、
なんともひどいことだ、でもこうやって増えすぎた地球上の人口が淘汰され、自分もその一人なのだ、
と書いていました。
パパは本当に、、自分の状態について、パニックにもならず、穏やかに受け入れています。私だったらと思うと、絶対にパニックに陥って自分の運命を嘆いてると思う。パパは本当にすごいよ。。


地震からちょうど一週間がたった18日の金曜日、家族でがんセンターへ呼び出されていました。前月、腫瘍の再発が認められたため今後の治療方法をどうするか、という相談です。
14日にまた撮ったMRIの結果でもやはり、拡大してしまっていました。
11時半に来いと言われていたのに、待合室でひたすら待つこと3時間半、、
途中、パパは辛くなって横になってしまいました。当然です。

震災の影響や計画停電で医療界も大変な騒ぎらしく、パパの担当医N先生は権威でもあるので急きょ会議に呼び出されていて不在、大事な話なのに、話が直接できませんでした。。
でも一緒にチームで診てくれているO先生が、一生懸命対応してくれました。

テモダールだけの治療で再発してしまったので、同じ治療法では効果がなくなってきたと考えるのが普通です。次の治療法について、私たちには3つの選択肢が与えられました。

①テモダール+プロカルバジン
②点滴(カルボプラチン)
③アバスチン

アバスチンは、日本での認証に向け進んでいるところではあるけれども、まだまだ承認には時間がかかるものです。それを、このがんセンターでは、特別審査を通れば患者が使用できるように、頑張って進めてきたというのです。国立であるがんセンターならではだそうです。
やはりこの中で一番強い薬であるのはアバスチンとのこと。
その割に副作用も比較的弱い方である。
ただし、保険適用でないため、ものすごく費用がかかる。
そして気になる点としては、これまでのアバスチンを使った患者さんにたまに見られる、体力が落ちたり症状が少し悪化したなどで薬を中断した場合の予後が悪化するペースが早い、ということが懸念事項だとも聞きました。

ど素人でお金もない私たちはさぁ、どれにする、と言われても途方に暮れるだけ。

先生に、どうするのが一番良いか聞いても、きっと思うところはあるのでしょうが、効果がはっきり出るものでもないため、断言はしませんし、曖昧な言い方に終止します。
お昼もまだだったので、途中、いったんランチ休憩をして自分たちだけで話し合い、その後一時間後にまた先生と話して決断をする、ということになりました。

遅いランチの間、あーでもない、こーでもないといいながら相談してましたが、やはり決まりません。パパは、たまに口をはさんで、高いお金を出す必要はない、ない、とひとしきり言って、あとは任せた、とまた話し合いから抜けます。
先生と話している間も、”もう僕はわからないから家族に任せます・・” と完全に放棄です。
放棄というか、パパは元々無理をしない主義だし、あきらめも早い性格。
ママはあきらめないので、必死に先生にいろいろ質問するのだけどなにせ難しい問題なので判断できずに泣きじゃくる。
そんなママをパパがよしよし、すぐ泣くんだから、、となだめていました。。
今ではよく見る光景です。

私と弟で、曖昧な先生の意見を追求しまくって、なんとか決断に向かいました。

治療というのは通常、強い薬から試して早めに治療を終わらせることを目標としている。
アバスチンが他の抗がん剤と比べて効果があるといっても平均3、4ヶ月程延命効果があるという程度だということ。
なんせ高額のため、一般の人はなかなか続けられないのが普通だということ。

などなど、、これらをふまえ、私たちがなんとか出した結論は、普通はできないのだけどやれるものならやりたい治療法ができるというチャンスがあるのなら、やらずして後悔はしたくない。
お金は二人で協力して、無理はせずに、できるところまで続ける。

アバスチンを、やろう。

休憩前と合わせて約4、5時間が経過していました。
あとは、申請をしてもらって、結果まで約1週間待つことに。

すっかり疲れて、帰ったとたんにパパはすぐに倒れ込むように寝てしまいました。
その日は計画停電が実施され、私も弟もすぐに寝ちゃいました。まだ19時だったのに!
相当疲れてたね、この日は、、。
それでもママだけは寝れずに起きていたそう。

ママは寝れないことがほんとに多く、身体が心配。
私も不眠症の気があるので辛いのはよく知っています。日中は昼寝してるらしいのでまだいいのかなと思うけど。。

本当はこの日からテモダールを始める周期だったのに変更したために治療がいったん中断になったので、早く申請がおりてくれることを願います。






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