Powered By Blogger

2011年4月23日土曜日

大きくなった腫瘍、そして史上最悪のトリプル災害

なんと前回のブログから4ヵ月も経ってしまいました。。

その間、パパの誕生日もあったし、年末年始もあったし、、いろいろありました。
忙しさに追われ、疲れていると余計疲れるという悪循環も発生、ブログアップする気力すらなく。。
あげく、つい1ヶ月前には世界でもまれに見る最悪な東日本大震災が、、。

下記、途中まで書いていたもののずっとドラフト状態だったものを、時間軸はおかしいですがとりあえずアップしました。

↓↓↓

その時私は東京のオフィスにいました。
ざわめきが起こり、びっくりして外へ皆避難しました。

今までに経験したことのない大きな地震。2回も外に避難したし、
結構長いこと外にいましたが、中に戻るとそれほどの被害はありません。
部長の小さな本棚が倒れていたくらい。
その時はまだ、あんなに大きな震災だったなんて思いもしなかったな、、
あちこちで被害が大きくなって、いろんな情報が入ってくるにつれ、不安は少しずつ大きく、、。

携帯や電話が混雑して繋がらなくなった中、Tがすぐにtwitterで連絡をくれ、
その後交通手段が全部断たれてる、迎えに行くから動かないで待ってて!と。
歩きやすい靴と上着、手袋を持って、チャリで迎えにきてくれました。
そして二人で歩いて帰りました。
車で旦那さんが迎えにきた子は、道路が混んでたのでなんと会社に着いたのが夜の9時とかだったそう。
3、4時間歩いて帰った方が多い中非常に恐縮ですが、3、40分で地元に着きました。まだまだ元気です。
このときもまだ、ニュースで津波の映像すら見ていませんでした。
ご飯を食べに入ったお店でついてたTVを見て唖然。。
まるで911をTVで見たときのような、映画を見ているかのような実感のなさ。
リアルだとは思えない光景でしたね。。

その夜はさすがに、非常袋を玄関に用意して、玄関のドアは開け、外に出れる格好でロングダウンを着込んで、TVの前で床に転がって寝たのでほとんど寝れなかったです。。
ガスも止まってたのでシャワーも浴びれずだし。(これは翌日、facebookを見ていたら同じような人がいて、振動を感知して自動で止まったものだったということがわかり、無事に開栓できました。。)



1週間が経った東京では、すでに大分落ち着いていたと思います。
計画停電にも余震にも備えつつ、さすが秩序のある日本人というか、すでに元の生活に皆戻りつつありました。
原発には世界が恐怖におののいてますが、日本はあくまで冷静に、そして必死に対処しています。情報開示が遅いと非難もされましたが、アメリカや特にイギリスの報道のように騒ぎ立てて下手に恐怖をあおってパニックを引き起こしてはいけないと、必死に冷静を保ちつつ対処していこうとしていたのは、なんとも日本人らしい部分です。
買い占め騒動はいただけなかったですけどね、、


枝野官房長官は常に国民に報告して、不眠不休な日々。
アメリカで、政界のジャックバウアーだとも言われました。
ジャックを生んだアメリカに言わせるなんて、すごい。

PrayforjapanというTwitterでの感動するつぶやきを集めたサイトもでき、混乱が起きないどころか助け合う日本人を賞賛する海外のニュースだけでなく実際海外の取引先からも日本人のモラルの高さを褒めたたえるメッセージを多数いただき、久しぶりに、、日本人を誇りに思ったのでした。
震災の被害は計り知れないけど、日本は完全に一つになったと感じました。。


ずっと流れる震災の状況や増え続ける死者のニュースを見て、パパは日記に、
なんともひどいことだ、でもこうやって増えすぎた地球上の人口が淘汰され、自分もその一人なのだ、
と書いていました。
パパは本当に、、自分の状態について、パニックにもならず、穏やかに受け入れています。私だったらと思うと、絶対にパニックに陥って自分の運命を嘆いてると思う。パパは本当にすごいよ。。


地震からちょうど一週間がたった18日の金曜日、家族でがんセンターへ呼び出されていました。前月、腫瘍の再発が認められたため今後の治療方法をどうするか、という相談です。
14日にまた撮ったMRIの結果でもやはり、拡大してしまっていました。
11時半に来いと言われていたのに、待合室でひたすら待つこと3時間半、、
途中、パパは辛くなって横になってしまいました。当然です。

震災の影響や計画停電で医療界も大変な騒ぎらしく、パパの担当医N先生は権威でもあるので急きょ会議に呼び出されていて不在、大事な話なのに、話が直接できませんでした。。
でも一緒にチームで診てくれているO先生が、一生懸命対応してくれました。

テモダールだけの治療で再発してしまったので、同じ治療法では効果がなくなってきたと考えるのが普通です。次の治療法について、私たちには3つの選択肢が与えられました。

①テモダール+プロカルバジン
②点滴(カルボプラチン)
③アバスチン

アバスチンは、日本での認証に向け進んでいるところではあるけれども、まだまだ承認には時間がかかるものです。それを、このがんセンターでは、特別審査を通れば患者が使用できるように、頑張って進めてきたというのです。国立であるがんセンターならではだそうです。
やはりこの中で一番強い薬であるのはアバスチンとのこと。
その割に副作用も比較的弱い方である。
ただし、保険適用でないため、ものすごく費用がかかる。
そして気になる点としては、これまでのアバスチンを使った患者さんにたまに見られる、体力が落ちたり症状が少し悪化したなどで薬を中断した場合の予後が悪化するペースが早い、ということが懸念事項だとも聞きました。

ど素人でお金もない私たちはさぁ、どれにする、と言われても途方に暮れるだけ。

先生に、どうするのが一番良いか聞いても、きっと思うところはあるのでしょうが、効果がはっきり出るものでもないため、断言はしませんし、曖昧な言い方に終止します。
お昼もまだだったので、途中、いったんランチ休憩をして自分たちだけで話し合い、その後一時間後にまた先生と話して決断をする、ということになりました。

遅いランチの間、あーでもない、こーでもないといいながら相談してましたが、やはり決まりません。パパは、たまに口をはさんで、高いお金を出す必要はない、ない、とひとしきり言って、あとは任せた、とまた話し合いから抜けます。
先生と話している間も、”もう僕はわからないから家族に任せます・・” と完全に放棄です。
放棄というか、パパは元々無理をしない主義だし、あきらめも早い性格。
ママはあきらめないので、必死に先生にいろいろ質問するのだけどなにせ難しい問題なので判断できずに泣きじゃくる。
そんなママをパパがよしよし、すぐ泣くんだから、、となだめていました。。
今ではよく見る光景です。

私と弟で、曖昧な先生の意見を追求しまくって、なんとか決断に向かいました。

治療というのは通常、強い薬から試して早めに治療を終わらせることを目標としている。
アバスチンが他の抗がん剤と比べて効果があるといっても平均3、4ヶ月程延命効果があるという程度だということ。
なんせ高額のため、一般の人はなかなか続けられないのが普通だということ。

などなど、、これらをふまえ、私たちがなんとか出した結論は、普通はできないのだけどやれるものならやりたい治療法ができるというチャンスがあるのなら、やらずして後悔はしたくない。
お金は二人で協力して、無理はせずに、できるところまで続ける。

アバスチンを、やろう。

休憩前と合わせて約4、5時間が経過していました。
あとは、申請をしてもらって、結果まで約1週間待つことに。

すっかり疲れて、帰ったとたんにパパはすぐに倒れ込むように寝てしまいました。
その日は計画停電が実施され、私も弟もすぐに寝ちゃいました。まだ19時だったのに!
相当疲れてたね、この日は、、。
それでもママだけは寝れずに起きていたそう。

ママは寝れないことがほんとに多く、身体が心配。
私も不眠症の気があるので辛いのはよく知っています。日中は昼寝してるらしいのでまだいいのかなと思うけど。。

本当はこの日からテモダールを始める周期だったのに変更したために治療がいったん中断になったので、早く申請がおりてくれることを願います。






2010年12月17日金曜日

MRIの結果。

今日、ママから来た知らせにびっくりしてしばらく思考回路が止まってました。。


“少しだけど再発していました。治験は終了です。パパは冷静だよ。ママは涙が出ちゃったけどね。”


“?!”


しばらくよくわからなくて、なんだか不安でしょうがなくなった。。
アバスティンは完全に治すものではないということはわかっていたけど、
でも効いてくれれば、今現在日本で行われている抗がん剤よりは
延命の可能性が高くなる、そう期待していただけに今日のこの知らせはショックなものでした 



 仕事終わってからよくよく話を聞いてみると、
点滴(アバスティン、かプラセボ)のみの治療に代わってから
 約2ヶ月前経った今、少しだけ、腫瘍が大きくなっていたのだと。


 アバスティンは入ってなかったんだねぇとママが言うから、
先生は薬入ってるって言ってたんだよね?!と聞いたら、、
ママはそういったと思ったんだけどねぇ、パパは反対のことを言ったと言っててよくわからないのよ、と。。


全然わからない><


パパは、“薬なんか入ってないと思ってた、だって副作用がほとんどなかったからねぇ。”


確かに、、
血尿とか、石がしくしくして痛かったりというのが続いたから気づかなかったけど、テモダール飲んでたときは飲んでる間ひどい副作用があったのに、点滴だけになってからはそれがなくみるみる元気になっていた。


むしろそれが薬が効いてる証拠だなんて思ってました。
なんて安易な考えだったのか、、
抗がん剤がそんなに楽なわけがないよね、、


 ほんとに食塩水だったのかな。
弟は、“仮に食塩水を打ち続けてたとしたら今の状態はたいしたもんだ!最大限協力します。がんばっていこう!” と。


確かにそうだ!(弟に同調してばっかですけど、、)


どちらにせよパパの状態は良かったし、今だってパパは元気です^^
“テモダールを再開したらまた副作用と戦う日々が来るけど、
2年は続けないといけない薬と言われていたし、
パパは淡々とがんばるだけです。変わらずね。” 




かろやかな声でそう言うパパは偉い。
そして、強い。


いつも、病状悪化の恐怖の上ででいろんなことを悟って
自分の中で受け止めてきたからなんだろうな。。
強いと思う。

むしろ周りの私たちのほうが、いつも動揺してる。。


“ママが泣いちゃってもう、大変なんだよ〜
パパが慰めてるんだから(笑)”


それくらいが、きっといいんだよね。


パパの今の収入は傷病手当のみ。まだ若いので年金も、ない。
なのにそこから約半分以上が、この手当をもらうための保険料と
昨年退職金をもらったからという理由で高額な市民税に消えています。。
退職金は、家のローン返済にすぐ消えてしまったというのに。


これからは薬代もまともにかかってしまって、苦しくなるな。
弟と私で支えていかなきゃ。


私は自分が仕事に向いてるタイプの人間じゃないと感じてるだけに、、
ちょっと不安です。

人生、いろいろあるなぁ。。

2010年12月13日月曜日

あれから1年。

ハネムーンに行ってきました!

帰国して一週間、すっかり現実の生活に舞い戻っちゃってるわけですが、、
それでもまだ余韻も波の音も残っていて、スキあらば目を閉じて思い出して浸っていますw
(これを現実逃避と言うのでしょうね、、)

それくらい楽しかった夢のような一週間だったわけですが、それもこれもパパが元気(、、?)で生きていてくれるおかげです。
安心して、今だけの特権を味わってきました!(神様、有難うございます!)

ハネムーンの話は別途たっぷりするとして、、w


先日の12月10日はパパの58歳のバースデーでした!

実家の近くの生けすのある石亭へお食事行ってきました。
風船とお花を買ってきてお店から渡してもらい、派手な帽子を被らせて(笑)ささやかなお祝いです。
最初は覇気がなく表情がなかったパパも、徐々に気が晴れてきたのか、笑顔が戻り、楽しんでくれたと思います。


思えば全ての始まりはちょうど一年前。
本当にいろんなことがあった「怒涛の一年」でした。


おじいちゃんの死去、パパ誕生日に人間ドック、クリスマスにガン発覚、年始に余命1,2年と宣告され、手術直前に家族で温泉旅行、すぐ手術、入院、治験開始。
私の引っ越し(実家へ)、弟の転職、私の結婚、そしてまた引っ越し、、

この間、目まぐるしく変わる環境、心情、移転によく皆耐えられたもんだと今となっては思いますね。。
それほど今は、比べると落ち着いているということで、常に一緒に居るママのことも考えると、本当にありがたいことです。


嬉しかったのは、先日の通院で、いつもあまり情け容赦のない感じの(すみません、、)担当医(名医です、念のため)の先生が、パパの経過を見て「間違いなくアバスチンが入っている」、と断言してくれたことです!!
プラセボかもしれない、誰にもわからない、とされる治験に運命をかけて、ちゃんと薬の入っているグループに入れたということは本当に神様はいる!と思わずにはいられませんでした!
パパの日頃の行いが良いからですね^^

この知らせをママからメールでもらった時、仕事中でしたが胸が熱くなる思いでした。
やはり希望は持つべきですね!
もしプラセボだったら、、  考えたくもないですね。。

でもパパは相変わらずな感じで、野菜・フルーツジュースを飲み、ノートをつけ、昼寝して、体重測ってお風呂に入り、ノートをつけ、お祈りして、、いつもと変わらず淡々と過ごしていました。
パパらしい。


昨日、ある本にあった一説にとても共感しました。

「老化による身体の衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、”欠陥があるにも関わらず健やかである”という生き方を求めていくべきだと思います。」
つまり、健康とは数値に安心することではなく自分が「健康だ」と感じることであり、幸福とはあくまで心の状態であり、持続した心の平安こそがその本質である、ということです。

パパは体調に大きく波があります。
それこそ健常者には想像もつかない痛み、苦しみ、不安、絶望感というものに常に囲まれているのですから、痛みを伴う体調の悪さを感じる時にはそれはそれは意気消沈して気力を失い、表情もなくなる状態に陥ります。
それは自分でも自覚していて、メールでも「今日はダメな日です」と短い返事だけ返ってくる時があります。
それでも基本的には、普段は”ありのままを受け入れ”、”しっかり生きないとね”、”病気をしっかり生きる、ということだ”と真っ向から病気と向き合い、痛み以外のストレスはないと言います。
私が何か嫌なことがあって愚痴ったりすると、”それでいいんじゃない”と、おおらかな気持ちで包んでくれて、楽になります。
そして毎日毎晩、「今日も生きられました。有難うございます。」とお祈りするのです。

家と病院、近所の往復だけの毎日でも、希望を忘れず、今日も生きられた幸せに毎晩感謝しているパパの姿は、これこそが幸福の本質かな、としみじみ感じさせられます。


その本にはこうも書いてありました。
「人は自分の痛みには過敏だけど、幸せには鈍感である。」

急性胃腸炎で今回バースデーのお祝いに来れなかった弟(本当によく熱を出す。。ママに似て、扁桃腺が元々腫れているからそういう体質なんだそうです)は、どんなに仕事や病気で辛いことがあってもパパの辛さはこんなもんじゃなかった、大抵のことは乗り越えられる。
と言いました。

本当にそう。
私はストレスをため込みやすいタイプだけど、パパの置かれている現実、それでも”病気をしっかり生きる”と全てを受け入れる強さを考えると、謙虚な気持ちになれて何でもない日常でも幸せをかみしめることができるようになりました。

ただし、以前の自分とは違うな、、と思うところは、何気ない会話なのでしょうが、人を小馬鹿にしたり謙虚でない態度の人たちをみると、すごい拒否反応を示してしまうところ。。
以前は流せていたことでも、今は本当に嫌気がさしますね。
何様なんだろうって。
本人たちにとってはとるに足らない、面白可笑しく話しているだけなんですよね。。
そういう時は黙って聞いて、しばらくは距離を置いたり時間を置いたりして心を沈めます。
私はまだまだですね。。

パパの、”それでいいんじゃない”精神でこれからも皆で笑いながら、楽しい時間を過ごして行きたいな。ずっとずーっと。

パパ、Happy Birthday.
生きていてくれてありがとう!

2010年11月22日月曜日

軽井沢未遂

前回のブログから早3ヵ月強、、


実家→Tとの新居へと引っ越したのを境に、ぷっつり書けないでいました。


やっと新居は落ち着いたけれども、仕事もかなり落ち着いてる時期だけれども、自分の拠点が落ち着くとそれなりにやることがちょこちょこあってあっという間に一日が終わる@@


(それまでもTと一緒に暮らしてた時期はあったけど、
やはり今の方が断然、家事をちゃんとやるようになりました^^ゞ)


時の経つのは早いものであっと言う間にもうすぐ年末!
書きたいことは山のようにあったのに、
時間が経つほどにもう溜まりすぎて逆に書けなくなっていました^^;


でもこれ以上溜まっちゃうともうどうしようもなくなるので
記録のためにやっとこさ。。




7月末。


もうすでに猛暑だったかな、7月最後の週末に、
家族で軽井沢へ行こう~と、弟嫁の発案で計画してました。


パパは治療も上々で、アップダウンはあるものの散歩に毎日ちょっとずつ出るなど
(部分的にあちこちある不調を除いては)元気だったから、かなり楽しみにしてました。


ママなんかは「アウトレット行きたいって」それはそれは楽しみに、
毎日のようにガイドブック見てルンルン。
アウトレットはさすがにパパ休んでるしかなくて、それなら一緒じゃないほうが、、
とも
思ったけど、ママが非常に嬉しそうなのでまぁ、いいかと。


パパはやはり自分で心配はしてましたね。
そうしたらやっぱり、当日は朝からかなり具合悪そう。。
なんとか電車に乗ったものの、ずっとお腹をさすってうつむいて。
ママがずっと励ましながら、なんとか東京駅に着き、なんとか切符を
買ったものの、遅れた弟夫婦を待ってる間にみるみる悪化して
座ってるのもきつい、やっぱり軽井沢は行けない、、という状態に、、


パパは一人で帰るから皆で行っておいで、というけど
一人にできるわけもなく、慌てて切符を払い戻し、
ホテルにもかけあって、当日キャンセルは全額もらう、と言い張るホテルに対して
交渉のすえキャンセル料無料にしてもらい(10万だったから家族に超感謝されましたw)、
その日はおとなしくおうちに帰りました。


パパはめちゃくちゃ具合悪そうでひたすら寝てるし、
ママはいろんな思いでいっぱいという感じで寂しそうにため息つくばかり。


残念だけど、こればっかりは、、
仕方ないよね。。






次の日の日曜日、私がせっせと引っ越しの準備している横で、
パパは鼻歌を歌いながらつられて本棚の整理。


ママは「ずいぶんご機嫌ね!」とチクリ(笑)


「なんだか今日はやたら調子がいいぞ ♪~」
だって。顔色もいいし、そ~~りゃ良かった^^


ひょっとしたら、勝手知ったる安心して暮らせる我が家から出て
遠出をするということ自体が、心身的なストレスになっていたのかもしれないな。。




次に家族旅行できるのはいつだろうかと
思いをはせながら、せっせと準備を進める私なのでした。

2010年7月16日金曜日

親というもの

今朝、パパが泣いていました。

今日に始まったことではないですが、今朝は結構激しく、肩を大きく震わせて泣いていました。


この1,2週間、ちょっと、私個人的に辛いことがありまして、パパママもすごく心配させてしまってそれはそれは大騒動でした、、

反省、、

でも二人が親として、一緒に私を助けよう、守ろうとしてくれた必死な姿は、私の心に深く深く刻まれ、本当にありがたかったし、嬉しかったし、「親」としての姿に本当に感動しました。

自分もいつか親になったら、こんな風に無償の愛を子に注げる親になれるのだろうか。。
(ってそんなこと言ってちゃいけないですね 汗)


昨夜、問題解決した後、パパは「良かった、良かった」としきりに言い、

「人生、いろんなことがあるなぁ。いろんな経験させてもらってるなぁ、、」

としみじみ、目に涙を浮かべてつぶやきました。

実家から持ち帰っていたパパの子供の頃のアルバムを開いて、どんな子供だったかとか(すごい可愛い)、中学生の時に大腸がんで亡くした綺麗だった母親の話、目の前で弟が溺れかけた時に池に飛び込んで助けたという父親の話、歳の近い伯父さんが両親(つまりパパの祖父母)を同時に亡くし、それから一緒に暮らすことになったという話、警察犬の息子のくせにアホで大好きだった犬の話、、、

いろいろ話してくれました。


今朝、リビングのソファに座るなりまたアルバムを開き、大ママ(パパのママ)を見ながら激しく泣きだした時は私も母もすぐには言葉が出ませんでした。

「最近、本当に涙もろくてねぇ」

一緒に涙しながら肩を組み、「パパは大丈夫だよ、、」というのが精いっぱいでした。
出社前のバタバタな時ではあったけど、時間が止まったようでした。


ママは、「パパはすぐに死なないから心配しなさんな!しっかり長生きして、アメリカの年金ももらわないけんのよ!」

と泣きながら笑って言って、パパも笑いながら泣いていました。


そうは言ってももう遅刻しそうな時間。名残惜しくも 「じゃ行ってきます!パパ行ってくるね!」
と大慌て。

振り返ると、いつも、玄関から顔尾を出して見えなくなるまで手を振って見送ってくれるママの後ろからパパも顔を出して手を振ってくれていました。

自転車だったしちょっと離れてるので一瞬の光景でしたが、いつまでもその姿が頭に残りました。



最近は、もう何クール目なのでしょうか、数週間おきに点滴、テモダールを5日間、という生活で、もうすっかり自分一人でがんセンター、耳鼻科、歯医者、と元気に行けるようになっていました。
穏やかな日々でストレスフリーで、毎日笑っていられるようになって本当に良かったな、と家族でホッとしていました。
こないだの週末は、二人で近くの「野鳥の楽園」へお散歩行ったりして、大自然が大好きなパパが生き生きと鳥や動植物の名前や説明をしてくれてパパって結構すごいなと思ってました。(鳴き声や葉っぱの形でわかるんですよ!歩く人間図鑑でした!)

髪の毛も、赤ちゃんの産毛状態から短い芝生くらいにまで伸びたんですよ!(腫瘍がある右側はなかなか生えませんが、、)
食事も、恐る恐るでもいろいろ食べれるようになってきたのでママも一安心。
(それにしてもママの作る野菜ジュースは相変わらずあまり美味しくない。。笑)

でも以前からできやすい石(結石)がまたしくしくし出して、不安そうな、険しい表情をしてじっとお腹を押さえていることが多くなりました。
もう先月からですが、、血尿がたまに出るというのが続いているので、その時はやはり不安げです。

がんセンターのドクターは専門ではないからでしょうか、あまり気にしていない様子。。


そんな時に私なんかの為にまた心配させてしまって、本当に反省です。(ばーちゃんには怒られました。。)

やはり何も心配せず、笑っているパパがいいです。


月末に実は、弟夫婦と一緒に軽井沢行くんです!!
弟お嫁ちゃんがとってくれました。

ずっと、入院後はパパがなかなか躊躇していたので、久々の家族揃っての遠出で楽しみです!

2010年5月15日土曜日

パパが走りだした!

最近、パパが走り始めました!!

と、いっても今までみたくランニングってわけじゃもちろんないですが。

心配していた第二クールは、挙式前日から始まりましたが、5日間のみテモダール飲み続けたら、またお休みに入ったのです。
そして昨日の13日、木曜日まで休薬期間だったので、それまでに暖かくもなってきたこともあってか、ちょくちょく散歩やお出かけをするようになり、一緒には行けなかったけど、ママとばーちゃんと湯島天神のツツジ見に行ったり耳鼻科行ったり(一人で!!)するまで元気になってきました。

そして先日、ママとバーちゃんとお散歩してるときに、急に走り出したのです。
本人曰く、急に走りたくなった、たった数十メートルだけど、生きてる喜び、活力みたいのが湧いてきた。
と、、。

今日は9千歩歩いた、今日は1万歩もあるいたぞ!
などとメールが来るたびに、嬉しくってわくわくします^^

ずーと、痛くて食べれなかったオレンジまで恐る恐るだけど食べれるようになりました!


このまま、何事もなかったかのように腫瘍が消えて、また元気を取り戻す気がしてなりません!
温泉は、自分の体みたら他の人がびっくりして嫌がる、と言ってまだ行きたがりませんが、今くらい元気だったら少しだけ遠出もできるでしょう!
楽しみです^^

~4/29  28日間休薬
4/30  放射線+テモダール+アバスチン
5/1~5/13 休薬
5/14 放射線


明日はばーちゃんが九州へ帰ります。
世話好きで、家事のプロで、可愛くて、癒されるばーちゃんが居なくなったらどんなに寂しくなることか、、
ずっと同じ部屋で寝てて、私が残業ばかりで基本的に遅いから背中とかさすってくれたり、ばーちゃんなのにだれよりも行動的で優しくて、なんでも相談すると必ずためになることを話してくれました。
(寝てる姿まで可愛いので写真撮ったりしてました 笑)


寂しくなるよぉ(泣)


次はじーちゃんの一周忌が明けてから。

それまでパパもみんなも元気で頑張っていきましょう!

2010年3月11日木曜日

季節の変わり目

火曜日は強い風の吹き荒れる雪だったのに、、昨日、今日はめっきり洗濯日和でした。(洗濯してないけど)

今日は一般の会社では一足早いホワイトデーでしたね^^
帰り道、いっぱいギフトの入った紙袋を持ちかえるOLさんたち(自分もしかり。。)を目にします^^

だんだん暖かくなってきたとはいえ、通勤時間帯はまだ冷える。

家から駅への距離が結構あるので気候はとっても影響大。。

パパも、せっかく帰ってきても寒くて散歩できなかったし。

早くもっともっと暖かくならないかな。



そんな毎日でもちょっと楽しみが。

朝、いつも通る駅前公園の出口手前にある切り株にたまにネコが乗ってます。

何をするでもなく、ただ乗ってます。

これがもうすごく可愛いんです!なんというか、不思議な光景です。

なんせ小さい切り株の断面いっぱいにちょこんと座ってるのでべたっと体を伏せて楽にすることもできず、向きを変えたり伸びをするだけでずり落ちそうになるんです。

いつも見るわけではないけど、3回見ました。最初みたときはびっくり、写真撮って家族に送ったら、パパが、やっと見たか^^ と。

パパは毎日のように、通勤途中に遭遇してたそうです。
TVの珍百景にも出たらしい。

時間帯があるらしく、ママは一回だけ、弟は見たことがないらしい。

パパは、自分と同じ体験を私がしたことがちょっと嬉しかったようです^^

ネコを見れた日はなんだか朝から楽しくなっちゃうから不思議。十番でも、Cat Streetと勝手に呼んでるわき道があって、マロと呼んでるネコや他にも何匹もいて、いつも通るたびに探してました。

なんでこんなに癒されるんでしょうね〜〜


あ、猫好きなのでついつい長くなりました。


そして夜は星空。
最近は、大好きなオリオン座はすっかり移動してひしゃく型の北斗七星がよく見えるようになりました。

ママが通っている東大病院近くの湯島にも梅が沢山咲くらしく、今朝写真を送ってきたけどすごーくキレイに咲いてました!



季節が変わろうとしていますね。


思えば去年、おじいちゃんが入院してそのまま帰らぬ人となってしまった11月から、激動の日々、、家族皆それぞれ、休む暇なく突っ走ってきました。

未だに突っ走ってます。


パパは髪が抜け始めました。
気になるようで、ついつい触っては抜ける髪を山盛りにしていきます。。

放射線の影響で耳や顔が腫れ始め、今では強く当てている右側が半分、ものすごく腫れてしまい、平日はお見舞いに行けないので聞くところによると瞼が腫れ上がって細い視界になってしまっているとか、耳も穴が塞がれてしまほどだって、、、中耳炎も痛いしもう腫れ上がった皮膚が痛くてメガネもかけられません。
恥ずかしくて外に出れないといいます。

恥ずかしいとか以前に、可哀想で仕方ないです、、、
ママも辛そうに、そのことばっかり話します。


吐き気とも毎日毎日格闘。

「今日は4連敗だった。薬飲まずにはいられなくて、朝、昼、夕方、夜と(吐き気止めを)飲んでしまった。ご飯も食べれなかったけど、パンが出たから少し食べたよ。」

こんなメールがよくきます。

でも相当腫れがひどくなってからは、メールは来なくなりました。今日のおとんシリーズも、
もう可哀想で写真残しても仕方ないとママ。。


皆、気が気じゃありません。。
でも皆でずっと一緒に居ることはできないので、、それぞれ別々の場所にいるけど常にメールは家族全員でやりとりをして、パパを励ましてます。

ママや弟は面白いけどとても純粋で気が優しいので、頑張ってるパパをほめ称えて励ましてます。
私は結構現実的で、どうすればマシになるとか、先生にこういうこと聞いたらとか、何して気を紛らわすといいとか、なんかちょっと二人と違うな、、ちょっと優しさが足りない人間なのかしら、、と一瞬不安にもなる、、
入院時、資料とか全く読まないママや弟に変わって整理したり目を通したりしてたらパパが助かると、それぞれ得意・不得意があって家族はバランスよくできてると。言いました。
だから落ち込まずに自分は得意な情報収集で役に立てればいいなと、、思う次第です。。


ただし今は本当にバタバタしてて、、いろんな想いが駆け巡ります。


仕事と式の準備で忙しくしていてろくに話もできないどころか、週末も打合わせ等で家に居る時間がほとんどなく、、

なんのために実家に帰ってきたのか、パパに花嫁姿を見せたいばかりにパパが頑張っているこの大事な時期に一緒にいてあげられないのは果たしていいことなのか、、


実家に帰ってきたばかりの頃は、本当にそういう思いで辛かったけど、今はもう、前を向いて突っ走るしかないと思ってます。


早暖かくなって、毎年パパとママが行っている、湯島天神の桜を今度は一緒に見に行きたいな。

第一クールは3/30で終了です。
それまであと半月!

頑張れパパ!


- Posted using BlogPress from my iPhone