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2011年6月14日火曜日

復職とエコノミー症候群

とりとめのないタイトルですが。

気がつけば5月中は丸々1ヶ月書いてなかったんですね。
その間にもちろんいろいろありました!


アバスチンももう4回やりました。
副作用はもちろんあるわけで、帯状疱疹もまだ残ってて頭痛いし、常にどこかが痛く、不調と戦う毎日です。(私もいつもどっかしら辛ーいとか言ってるけど比べ物にならない。なる訳が、ない。。)

そんな中。
私の結婚式にも来てくれた、NY時代の友達がパパになんかしてあげたいと、かなり身体に良さそうな健康食品を送ってくれました。

気持ちだけでも嬉しいのに、行動にうつしてくれることがものすごく有り難く、届いてから、パパと有り難いねぇって話してて電話口で涙声になっちゃいました。

彼女にはいつも、パパの事でママや私のことまですごく心配してくれてて、心強い言葉をかけてもらっては両親共々癒されてるんです。

やっぱりこういう事はどうしても人ごとなので、言葉だけならいくらでも言えるけど、そこにどれだけの気持ちがこもってるかは人によっても関係によっても大分違いますよね。
彼女は愛という字を人にしたような女性なので本当に胸を痛めてくれてる、心配してくれてるのがわかるのです。

千葉の片隅でひっそりと、毎日病気と闘っている老夫婦にとって、彼女のように心底応援してくれる外の人たちがいるってことが伝わるのが、どんなに心強くて嬉しい事か。
いつも痛みにこらえて険しい表情をしていても、そんなときはパパの顔に笑顔が戻り、本当に嬉しそうです。
私も、嬉しい。
家族や、心底心配してくれている人たちと話して時には笑ってワイワイすることが、何よりの薬になると、パパは言っていました。

私は自分が病気なのではないけれど、こうやって親が闘病していることで一緒になっていろんな事に気づかされる毎日です。


そんな応援を支えに頑張ってきたおかげか、アバスチン始めてからのMRIでなんと播種が一部、陰が薄くなっていたのです!一部だけど、進行を抑えているってことです!
アバスチン、すごい!

一時元気を取り戻して、ヨロヨロしながらも私が予約とってあげたオークラ東京ベイのフレンチトーストだって食べに行ったし(私も行きたかった! ^^;)、なんとこないだは、フラフラしながらも車を運転したと言うのでそれはさすがにびっくり。
危なっかしいぃぃ><

大ニュースはなんといっても、パパが会社復帰を果たしたこと!!
会社の社長さんや部長さんや同僚の方々がすごーーくいい方達で、家まで何回かお見舞いに来てくれたり、無理のないような勤務体制にしてくれたり、会社にパパだけでなくママの席まで用意してくれたりと心配りが有り難く、初日も温かく迎え入れてくれたそうで、とても感動してました。
いい会社だなぁ!


しかし。

パパと一緒に通勤することになったママは、毎日会社へ通うということをほとんどした事がありません。3日目にはママのほうがダウンしてしまって、この夫婦は二人で一人なのでこの日は早速会社を休んでしまいました^^;

そのまま週末に入ると今度はどうもおかしかったパパのふくらはぎがどんどん腫れ始め、歩けなくなってしばらくまた行けなくて、やっとこないだがんセンターで診てもらったらなんとエコノミー症候群でした。

動かなくなるから、患者さんはよくなるんだそうです。
しかもほぐそうとして自分で揉んでしまう人がよく居るそうなのですが、血栓がもしできていたら、それが肺とかに移動したら詰まって苦しくなったり危ないことにもなることがあるとのこと。
しかも同時に五十肩。これも治療始めました。

大事にはいたらなくてよかったけど、本当に、がんになるって、身体のあちこちをどんどん蝕まれていく恐ろしい病気なのだとつくづく感じました。。

次から次へとパパを悩ませる痛みや苦しみ(もちろん悲しみも、、)だけど、もう1年以上、よく耐えてきていると思います。
あちこちボロボロになりながらも、その度に修理して、メンテして、大事にしながら毎日つきあっていくんだね、人の身体って、とパパは言っていました。
私だったらとっくに気がおかしくなっているだろうなとビビりながら、頑張っているパパには本当に少しでも楽しい気分になってもらいたいなぁ、元気になってもらいたいなぁと願うばかりです。

結局まだ2日間しか会社へは行ってません。
それなのに、実はこの週末、たまたま金曜日にくる事になっていたばーちゃんを連れ、パパママと3人で韓国に行く事になっています。

お医者さんもびっくりですよ。
でももう、どこでも行きたいところに連れて行ってあげてください、なんでも好きな事やらせてあげてくださいと言われてます。

本当は私も一緒に行きたかったところ、パパの状態がわからなかったので前もって決めることができず、私は友達夫婦と韓国行きを決めていました。
急に、パパが元気そうだからと、私とほぼ同じ日程でパパ達も韓国行く事にしたというのです。
予約したときは確かに一時元気そうだったけど、今の状態では、普通に考えると行ける状態ではありません。
毎日状態が違うし、果たして行けるのかな。。

香港だって行ってきたし、そのミラクルっぷりで今回も無事韓国旅行を果たしてほしいものです。
そして現地で父の日と、その週にくるばーちゃんのバースデー、一緒にお祝いしたいです。






2011年4月27日水曜日

顔面が


たんこぶのような水ぶくれから始まったパパの頭痛は、早二日でこんなにもふくれあがってしまいました。。
もはやすっきりしてけっこうイケメンだった(と思ってる)パパの面影は、ありません。

先週末から痛みを訴えていて、日曜日にじんましんのようなものがおでこにでき始め、てっきり点滝の副作用かと思っていたら月曜日の病院でなんと帯状疱疹だと言われ、薬はもらったもののみるみる激しく腫れてきてしまったのです。

普通にしていても頑張っても右目は開きません><
おでこも鼻も、いつもより一回り大きくなってる。。
ママにメールもらってかなりびっくりして、すぐ電話してパパにかわってもらったら思いのほか元気そうな(といっても、、ですが)声を聞いて、思わずほっとして涙でちゃいましたよ。。
こんな状態でも笑って話してくれて、本当にすごいと思った。

髪の毛触れるだけでも悲鳴をあげてたのは、これほどの勢いで頭が腫れてきてたからなんだ、、

パパは以前も帯状疱疹になったことがあって、調べたら1回はなっても2回かかる人は5%以下だって!
でもどうやら、やはりというか、抗がん剤などで免疫が急激に下がると突然かかったり、経験済みでもまたなる事もあるそうです。
神経痛で、その痛みは相当なものだって、、、経験者は苦い顔して必ず言いますよね。


本当に大変な病気と闘っているんだな。。
私ならとっくに気がふれているかもしれない。
がん細胞ってのは、本当に本当にやっかいだ。


明日は1年半私のアシスタントとしてくれたAさんの最終日。
すごく悲しくて、寂しくて、夜は仕事上関係のあった女子で感謝の宴をわいわい過ごそうと楽しみにしてました。

でもパパの2回目の点滴の日でもある。
こんな状態で、点滴自体も続行できるかどうか不安です。
昼間抜け出して病院行かせてもらおう。。


2011年4月24日日曜日

頭痛

パパの頭痛が治まらない。
左側は平気と昨日まで言ってたのに今日は頭全体が、触るだけで悲鳴をあげるほど、、
医者はバファリンでいいと言うけれど絶対気休めだ。

これが実際のアバスチンの副作用なんだなって思うけど、なおさら、治験中は本当に食塩水だったんだって知らしめられているようで悔しい。

何もしてあげられないのがもどかしい、、


ママ、59歳の誕生日!

今日4月23日はママの59歳の誕生日でした!
パチパチパチ。。!


弟嫁が舞浜のヒルトンでランチを予約してくれて、弟夫婦と私と両親のいつもの5人で中華のブッフェへ。(本当は別のレストランへ行くはずが、ホテルは営業していてもしまっているお店が多く、、)
お花くれたり写真撮ってくれたりケーキまで手配してくれて、さんざんおしゃべりして、最初はきつそうだったパパもどんどん笑顔が増えて、楽しい時間を過ごせました☆

ホテル内で結婚式の聖歌が流れてきた時、私たちの結婚式ではほんとにほっとしたと、、思い出すと泣けてくると言って涙ぐんでいたのを見て、去年バタバタなまま始まって終わっていたので、そんな風に思ってたんだなって、私も思わず涙ぐんじゃいました。。

最近のパパは、一見見た感じは元気そうなのだけど、腫瘍はMRI撮る度に広がってしまっているし、暑い、寒いなどの五感もまた敏感になってきていたり、足があがらずお風呂に一人で入るのが困難になってきたりとパパの状態も急激に悪化してきていて、かなり心配な状態ではあるんだ。。

今まで頭の痛みは、放射線終わってからはあまり言わなくなっていたんだけど、つい数日前からは痛みを訴えだすようになり、、
脳天を突き刺すような、ぴきーっとした痛みが走ると言い出しました。手術をした側の、おでこですら皮膚を触っても痛く、今日なんて、みるみるタンコブのようなじんましんの固まりのようなものも浮かんできました。


まるで、手術後ひどかった1年前を彷彿とさせ、一昨日、昨日とママがメールで不安を訴えてきていたので心配でした。
きっと、、抗がん剤の副作用なんだと思います、、
なんとかしてあげたくてもできないもどかしさを抱えながら、とにかく不快にならない程度に気を紛らわせていたわってあげようと努めてます。
やはり笑っている間は忘れていられますもんね!

でも今月はなんと、そんな状態でもかなり行動したんです!!これが、実に結構な活動。


4/3の私の結納一周年記念日には、去年は来れなかったパパのリベンジを果たすべく、ママの誕生日を兼ねてとうふ屋うかいでお祝いしました。そこにTのご家族もJoinしてくれて、立派な結納リベンジが果たせました!お花屋さんに花束を届けてもらって、皆にお祝いしてもらえて本当に良かった^^
(私は去年と同じワンピースを来て、去年と同じ角度での写真を撮りました!パパが居なかった去年の写真と並べると、感慨深いものがあるね。。)

すぐ後の8日には、ママとパパが二人で念願の香港、それも憧れのPenninsulaへ!
全く欲のないパパが、出張で4回も行ったにも関わらず飲茶も食べてないし観光も一切できなかったからちょっと未練があるな、飲茶食べたいな、と言ったのを聞いてからはママが、
「何が何でも連れて行く!」
と即効手配。(ママの得意分野 ^^)

実際は一日の半分は寝ているような状態だったそうで、ママは置いて出かける気にもなれずじとっと部屋にいたそうだけど、それでもご飯はたくさん、二人で美味しく食べて、一度渡れば3年寿命が延びるという長寿橋を2回も渡り、途中からは車いす状態になりながらも無事に帰ってきてくれました。

帰ってきてすぐ、14日、やっと許可がおりたアバスチン(実際は香港行く直前におりたので、タイミングが悪く後回しに、、)の点滴!
治験の時と同じように、初回は90分の点滴です。
今度は間違いなくアバスチンが入っている。受けている時の感覚は特に前と変わらなかったそうだけど、私たちはこれにすごく期待している!!

そしてなんと、パパの会社の部長さんが家まで来てくださって、やっぱり仕事がしたいんだというパパに真剣に、かつユーモアも交えながら対応してくれて、なんと28日からリハビリ出社することになったのです!!
しかも、ママの席まで用意してくれると!! 
ママは、それには戸惑っちゃったみたいだけど(笑)初日は、とりあえず10時から11時の1時間だけとなりました。
なんて素敵な部長、、しかも起き上がれずに布団に横になったままのパパと話しながらそのうち部長まで横になって話し続けていたというから、なんて微笑ましい光景だろうと感動さえ覚えましたよ。
ほんとに良き上司に恵まれて良かった!!感謝感謝です。


そしてそして、今日は誕生日当日なので、改めてお祝いランチ、帰ってからもいっぱいおしゃべりして、一日のほとんどを寝るようになっていたパパが、珍しくほとんど起きていて今日は元気だねぇ!とママがびっくりしたほどでした。
やっぱり私や弟がいたり、いつもと違う刺激を受けるのが良いのだねと。もっともっと連れ出さなきゃ!
仕事復帰が決まった事でも元気が出たんでしょうね。


一年前の写真と比べると、身体も喋りも髪の毛も、本当に良くなりました。
前は髪の毛が抜け、あばら骨が飛び出て、ひどい真っ赤なじんましんのようなものが身体中を覆い、頭には黄色い粘着質のものがこびりついて常に痛み、かゆみを訴えていました。
口の中は腫れ、食べ物も少しの刺激もダメでほとんど食べれず激やせしてしまって精神的にもかなりやられていました。
今までに飲んできたテモダールの薬の袋を全部じゃないとはいえすごいたくさんとってあって、今までこんなに飲んできたんだねぇ、ほんとによく頑張ってきたねぇ、とパパの気持ちを思うと感動せずにはいられません。


その頃から比べると、今の状態はどんなに幸せなことか。。
性格や喋りに変化は見られるものの、大事なパパであることは変わりありません。

今回、大震災で、本当に突然命を奪われた方々やその家族がたくさんいることを思うと、、愛しい家族の時間をこれまで以上にたくさん過ごせていることにむしろ感謝すべきですね。


来年のママの60歳の誕生日もお祝いしよう!というパパの言葉を聞いて涙ぐんでしまうママ。
医者には、あと1、2ヶ月かもしれないと言われてしまったのだもんね、、
今の状態で、香港行けたことが奇跡なんですと、、



これを書いているのは夜中。(というか書いていると夜中になってしまう、、)

ママが寝る時、すでに寝息をたてているパパを心配そうにしばらく覗き込んで、寄り添うようにして眠りについているのを見て、本当に本当に二人を助けてほしい、と改めて神様に祈りました。。
パパは本当に誰よりも頑張っています。パパの頑張りを無駄にしないで下さい。お願いします。


*そうそう、ランチの後、弟夫婦はせっかく近いのでとあの嵐のような強風、雨の中、ディズニーランドへ。友達から聞いてはいたけど、本当に激空きで、ほとんどのアトラクションが0〜5分で乗れたそう!!
これで晴れていればこんなに楽しいディズニーはないとまで。
パパはどうしても乗り気じゃないみたいで、もったいないけど。。。

そうだ、GW中の私とTの結婚記念日にはディズニーに行こうかな^^


2011年4月23日土曜日

大きくなった腫瘍、そして史上最悪のトリプル災害

なんと前回のブログから4ヵ月も経ってしまいました。。

その間、パパの誕生日もあったし、年末年始もあったし、、いろいろありました。
忙しさに追われ、疲れていると余計疲れるという悪循環も発生、ブログアップする気力すらなく。。
あげく、つい1ヶ月前には世界でもまれに見る最悪な東日本大震災が、、。

下記、途中まで書いていたもののずっとドラフト状態だったものを、時間軸はおかしいですがとりあえずアップしました。

↓↓↓

その時私は東京のオフィスにいました。
ざわめきが起こり、びっくりして外へ皆避難しました。

今までに経験したことのない大きな地震。2回も外に避難したし、
結構長いこと外にいましたが、中に戻るとそれほどの被害はありません。
部長の小さな本棚が倒れていたくらい。
その時はまだ、あんなに大きな震災だったなんて思いもしなかったな、、
あちこちで被害が大きくなって、いろんな情報が入ってくるにつれ、不安は少しずつ大きく、、。

携帯や電話が混雑して繋がらなくなった中、Tがすぐにtwitterで連絡をくれ、
その後交通手段が全部断たれてる、迎えに行くから動かないで待ってて!と。
歩きやすい靴と上着、手袋を持って、チャリで迎えにきてくれました。
そして二人で歩いて帰りました。
車で旦那さんが迎えにきた子は、道路が混んでたのでなんと会社に着いたのが夜の9時とかだったそう。
3、4時間歩いて帰った方が多い中非常に恐縮ですが、3、40分で地元に着きました。まだまだ元気です。
このときもまだ、ニュースで津波の映像すら見ていませんでした。
ご飯を食べに入ったお店でついてたTVを見て唖然。。
まるで911をTVで見たときのような、映画を見ているかのような実感のなさ。
リアルだとは思えない光景でしたね。。

その夜はさすがに、非常袋を玄関に用意して、玄関のドアは開け、外に出れる格好でロングダウンを着込んで、TVの前で床に転がって寝たのでほとんど寝れなかったです。。
ガスも止まってたのでシャワーも浴びれずだし。(これは翌日、facebookを見ていたら同じような人がいて、振動を感知して自動で止まったものだったということがわかり、無事に開栓できました。。)



1週間が経った東京では、すでに大分落ち着いていたと思います。
計画停電にも余震にも備えつつ、さすが秩序のある日本人というか、すでに元の生活に皆戻りつつありました。
原発には世界が恐怖におののいてますが、日本はあくまで冷静に、そして必死に対処しています。情報開示が遅いと非難もされましたが、アメリカや特にイギリスの報道のように騒ぎ立てて下手に恐怖をあおってパニックを引き起こしてはいけないと、必死に冷静を保ちつつ対処していこうとしていたのは、なんとも日本人らしい部分です。
買い占め騒動はいただけなかったですけどね、、


枝野官房長官は常に国民に報告して、不眠不休な日々。
アメリカで、政界のジャックバウアーだとも言われました。
ジャックを生んだアメリカに言わせるなんて、すごい。

PrayforjapanというTwitterでの感動するつぶやきを集めたサイトもでき、混乱が起きないどころか助け合う日本人を賞賛する海外のニュースだけでなく実際海外の取引先からも日本人のモラルの高さを褒めたたえるメッセージを多数いただき、久しぶりに、、日本人を誇りに思ったのでした。
震災の被害は計り知れないけど、日本は完全に一つになったと感じました。。


ずっと流れる震災の状況や増え続ける死者のニュースを見て、パパは日記に、
なんともひどいことだ、でもこうやって増えすぎた地球上の人口が淘汰され、自分もその一人なのだ、
と書いていました。
パパは本当に、、自分の状態について、パニックにもならず、穏やかに受け入れています。私だったらと思うと、絶対にパニックに陥って自分の運命を嘆いてると思う。パパは本当にすごいよ。。


地震からちょうど一週間がたった18日の金曜日、家族でがんセンターへ呼び出されていました。前月、腫瘍の再発が認められたため今後の治療方法をどうするか、という相談です。
14日にまた撮ったMRIの結果でもやはり、拡大してしまっていました。
11時半に来いと言われていたのに、待合室でひたすら待つこと3時間半、、
途中、パパは辛くなって横になってしまいました。当然です。

震災の影響や計画停電で医療界も大変な騒ぎらしく、パパの担当医N先生は権威でもあるので急きょ会議に呼び出されていて不在、大事な話なのに、話が直接できませんでした。。
でも一緒にチームで診てくれているO先生が、一生懸命対応してくれました。

テモダールだけの治療で再発してしまったので、同じ治療法では効果がなくなってきたと考えるのが普通です。次の治療法について、私たちには3つの選択肢が与えられました。

①テモダール+プロカルバジン
②点滴(カルボプラチン)
③アバスチン

アバスチンは、日本での認証に向け進んでいるところではあるけれども、まだまだ承認には時間がかかるものです。それを、このがんセンターでは、特別審査を通れば患者が使用できるように、頑張って進めてきたというのです。国立であるがんセンターならではだそうです。
やはりこの中で一番強い薬であるのはアバスチンとのこと。
その割に副作用も比較的弱い方である。
ただし、保険適用でないため、ものすごく費用がかかる。
そして気になる点としては、これまでのアバスチンを使った患者さんにたまに見られる、体力が落ちたり症状が少し悪化したなどで薬を中断した場合の予後が悪化するペースが早い、ということが懸念事項だとも聞きました。

ど素人でお金もない私たちはさぁ、どれにする、と言われても途方に暮れるだけ。

先生に、どうするのが一番良いか聞いても、きっと思うところはあるのでしょうが、効果がはっきり出るものでもないため、断言はしませんし、曖昧な言い方に終止します。
お昼もまだだったので、途中、いったんランチ休憩をして自分たちだけで話し合い、その後一時間後にまた先生と話して決断をする、ということになりました。

遅いランチの間、あーでもない、こーでもないといいながら相談してましたが、やはり決まりません。パパは、たまに口をはさんで、高いお金を出す必要はない、ない、とひとしきり言って、あとは任せた、とまた話し合いから抜けます。
先生と話している間も、”もう僕はわからないから家族に任せます・・” と完全に放棄です。
放棄というか、パパは元々無理をしない主義だし、あきらめも早い性格。
ママはあきらめないので、必死に先生にいろいろ質問するのだけどなにせ難しい問題なので判断できずに泣きじゃくる。
そんなママをパパがよしよし、すぐ泣くんだから、、となだめていました。。
今ではよく見る光景です。

私と弟で、曖昧な先生の意見を追求しまくって、なんとか決断に向かいました。

治療というのは通常、強い薬から試して早めに治療を終わらせることを目標としている。
アバスチンが他の抗がん剤と比べて効果があるといっても平均3、4ヶ月程延命効果があるという程度だということ。
なんせ高額のため、一般の人はなかなか続けられないのが普通だということ。

などなど、、これらをふまえ、私たちがなんとか出した結論は、普通はできないのだけどやれるものならやりたい治療法ができるというチャンスがあるのなら、やらずして後悔はしたくない。
お金は二人で協力して、無理はせずに、できるところまで続ける。

アバスチンを、やろう。

休憩前と合わせて約4、5時間が経過していました。
あとは、申請をしてもらって、結果まで約1週間待つことに。

すっかり疲れて、帰ったとたんにパパはすぐに倒れ込むように寝てしまいました。
その日は計画停電が実施され、私も弟もすぐに寝ちゃいました。まだ19時だったのに!
相当疲れてたね、この日は、、。
それでもママだけは寝れずに起きていたそう。

ママは寝れないことがほんとに多く、身体が心配。
私も不眠症の気があるので辛いのはよく知っています。日中は昼寝してるらしいのでまだいいのかなと思うけど。。

本当はこの日からテモダールを始める周期だったのに変更したために治療がいったん中断になったので、早く申請がおりてくれることを願います。






2010年12月17日金曜日

MRIの結果。

今日、ママから来た知らせにびっくりしてしばらく思考回路が止まってました。。


“少しだけど再発していました。治験は終了です。パパは冷静だよ。ママは涙が出ちゃったけどね。”


“?!”


しばらくよくわからなくて、なんだか不安でしょうがなくなった。。
アバスティンは完全に治すものではないということはわかっていたけど、
でも効いてくれれば、今現在日本で行われている抗がん剤よりは
延命の可能性が高くなる、そう期待していただけに今日のこの知らせはショックなものでした 



 仕事終わってからよくよく話を聞いてみると、
点滴(アバスティン、かプラセボ)のみの治療に代わってから
 約2ヶ月前経った今、少しだけ、腫瘍が大きくなっていたのだと。


 アバスティンは入ってなかったんだねぇとママが言うから、
先生は薬入ってるって言ってたんだよね?!と聞いたら、、
ママはそういったと思ったんだけどねぇ、パパは反対のことを言ったと言っててよくわからないのよ、と。。


全然わからない><


パパは、“薬なんか入ってないと思ってた、だって副作用がほとんどなかったからねぇ。”


確かに、、
血尿とか、石がしくしくして痛かったりというのが続いたから気づかなかったけど、テモダール飲んでたときは飲んでる間ひどい副作用があったのに、点滴だけになってからはそれがなくみるみる元気になっていた。


むしろそれが薬が効いてる証拠だなんて思ってました。
なんて安易な考えだったのか、、
抗がん剤がそんなに楽なわけがないよね、、


 ほんとに食塩水だったのかな。
弟は、“仮に食塩水を打ち続けてたとしたら今の状態はたいしたもんだ!最大限協力します。がんばっていこう!” と。


確かにそうだ!(弟に同調してばっかですけど、、)


どちらにせよパパの状態は良かったし、今だってパパは元気です^^
“テモダールを再開したらまた副作用と戦う日々が来るけど、
2年は続けないといけない薬と言われていたし、
パパは淡々とがんばるだけです。変わらずね。” 




かろやかな声でそう言うパパは偉い。
そして、強い。


いつも、病状悪化の恐怖の上ででいろんなことを悟って
自分の中で受け止めてきたからなんだろうな。。
強いと思う。

むしろ周りの私たちのほうが、いつも動揺してる。。


“ママが泣いちゃってもう、大変なんだよ〜
パパが慰めてるんだから(笑)”


それくらいが、きっといいんだよね。


パパの今の収入は傷病手当のみ。まだ若いので年金も、ない。
なのにそこから約半分以上が、この手当をもらうための保険料と
昨年退職金をもらったからという理由で高額な市民税に消えています。。
退職金は、家のローン返済にすぐ消えてしまったというのに。


これからは薬代もまともにかかってしまって、苦しくなるな。
弟と私で支えていかなきゃ。


私は自分が仕事に向いてるタイプの人間じゃないと感じてるだけに、、
ちょっと不安です。

人生、いろいろあるなぁ。。

2010年12月13日月曜日

あれから1年。

ハネムーンに行ってきました!

帰国して一週間、すっかり現実の生活に舞い戻っちゃってるわけですが、、
それでもまだ余韻も波の音も残っていて、スキあらば目を閉じて思い出して浸っていますw
(これを現実逃避と言うのでしょうね、、)

それくらい楽しかった夢のような一週間だったわけですが、それもこれもパパが元気(、、?)で生きていてくれるおかげです。
安心して、今だけの特権を味わってきました!(神様、有難うございます!)

ハネムーンの話は別途たっぷりするとして、、w


先日の12月10日はパパの58歳のバースデーでした!

実家の近くの生けすのある石亭へお食事行ってきました。
風船とお花を買ってきてお店から渡してもらい、派手な帽子を被らせて(笑)ささやかなお祝いです。
最初は覇気がなく表情がなかったパパも、徐々に気が晴れてきたのか、笑顔が戻り、楽しんでくれたと思います。


思えば全ての始まりはちょうど一年前。
本当にいろんなことがあった「怒涛の一年」でした。


おじいちゃんの死去、パパ誕生日に人間ドック、クリスマスにガン発覚、年始に余命1,2年と宣告され、手術直前に家族で温泉旅行、すぐ手術、入院、治験開始。
私の引っ越し(実家へ)、弟の転職、私の結婚、そしてまた引っ越し、、

この間、目まぐるしく変わる環境、心情、移転によく皆耐えられたもんだと今となっては思いますね。。
それほど今は、比べると落ち着いているということで、常に一緒に居るママのことも考えると、本当にありがたいことです。


嬉しかったのは、先日の通院で、いつもあまり情け容赦のない感じの(すみません、、)担当医(名医です、念のため)の先生が、パパの経過を見て「間違いなくアバスチンが入っている」、と断言してくれたことです!!
プラセボかもしれない、誰にもわからない、とされる治験に運命をかけて、ちゃんと薬の入っているグループに入れたということは本当に神様はいる!と思わずにはいられませんでした!
パパの日頃の行いが良いからですね^^

この知らせをママからメールでもらった時、仕事中でしたが胸が熱くなる思いでした。
やはり希望は持つべきですね!
もしプラセボだったら、、  考えたくもないですね。。

でもパパは相変わらずな感じで、野菜・フルーツジュースを飲み、ノートをつけ、昼寝して、体重測ってお風呂に入り、ノートをつけ、お祈りして、、いつもと変わらず淡々と過ごしていました。
パパらしい。


昨日、ある本にあった一説にとても共感しました。

「老化による身体の衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、”欠陥があるにも関わらず健やかである”という生き方を求めていくべきだと思います。」
つまり、健康とは数値に安心することではなく自分が「健康だ」と感じることであり、幸福とはあくまで心の状態であり、持続した心の平安こそがその本質である、ということです。

パパは体調に大きく波があります。
それこそ健常者には想像もつかない痛み、苦しみ、不安、絶望感というものに常に囲まれているのですから、痛みを伴う体調の悪さを感じる時にはそれはそれは意気消沈して気力を失い、表情もなくなる状態に陥ります。
それは自分でも自覚していて、メールでも「今日はダメな日です」と短い返事だけ返ってくる時があります。
それでも基本的には、普段は”ありのままを受け入れ”、”しっかり生きないとね”、”病気をしっかり生きる、ということだ”と真っ向から病気と向き合い、痛み以外のストレスはないと言います。
私が何か嫌なことがあって愚痴ったりすると、”それでいいんじゃない”と、おおらかな気持ちで包んでくれて、楽になります。
そして毎日毎晩、「今日も生きられました。有難うございます。」とお祈りするのです。

家と病院、近所の往復だけの毎日でも、希望を忘れず、今日も生きられた幸せに毎晩感謝しているパパの姿は、これこそが幸福の本質かな、としみじみ感じさせられます。


その本にはこうも書いてありました。
「人は自分の痛みには過敏だけど、幸せには鈍感である。」

急性胃腸炎で今回バースデーのお祝いに来れなかった弟(本当によく熱を出す。。ママに似て、扁桃腺が元々腫れているからそういう体質なんだそうです)は、どんなに仕事や病気で辛いことがあってもパパの辛さはこんなもんじゃなかった、大抵のことは乗り越えられる。
と言いました。

本当にそう。
私はストレスをため込みやすいタイプだけど、パパの置かれている現実、それでも”病気をしっかり生きる”と全てを受け入れる強さを考えると、謙虚な気持ちになれて何でもない日常でも幸せをかみしめることができるようになりました。

ただし、以前の自分とは違うな、、と思うところは、何気ない会話なのでしょうが、人を小馬鹿にしたり謙虚でない態度の人たちをみると、すごい拒否反応を示してしまうところ。。
以前は流せていたことでも、今は本当に嫌気がさしますね。
何様なんだろうって。
本人たちにとってはとるに足らない、面白可笑しく話しているだけなんですよね。。
そういう時は黙って聞いて、しばらくは距離を置いたり時間を置いたりして心を沈めます。
私はまだまだですね。。

パパの、”それでいいんじゃない”精神でこれからも皆で笑いながら、楽しい時間を過ごして行きたいな。ずっとずーっと。

パパ、Happy Birthday.
生きていてくれてありがとう!