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2010年12月17日金曜日

MRIの結果。

今日、ママから来た知らせにびっくりしてしばらく思考回路が止まってました。。


“少しだけど再発していました。治験は終了です。パパは冷静だよ。ママは涙が出ちゃったけどね。”


“?!”


しばらくよくわからなくて、なんだか不安でしょうがなくなった。。
アバスティンは完全に治すものではないということはわかっていたけど、
でも効いてくれれば、今現在日本で行われている抗がん剤よりは
延命の可能性が高くなる、そう期待していただけに今日のこの知らせはショックなものでした 



 仕事終わってからよくよく話を聞いてみると、
点滴(アバスティン、かプラセボ)のみの治療に代わってから
 約2ヶ月前経った今、少しだけ、腫瘍が大きくなっていたのだと。


 アバスティンは入ってなかったんだねぇとママが言うから、
先生は薬入ってるって言ってたんだよね?!と聞いたら、、
ママはそういったと思ったんだけどねぇ、パパは反対のことを言ったと言っててよくわからないのよ、と。。


全然わからない><


パパは、“薬なんか入ってないと思ってた、だって副作用がほとんどなかったからねぇ。”


確かに、、
血尿とか、石がしくしくして痛かったりというのが続いたから気づかなかったけど、テモダール飲んでたときは飲んでる間ひどい副作用があったのに、点滴だけになってからはそれがなくみるみる元気になっていた。


むしろそれが薬が効いてる証拠だなんて思ってました。
なんて安易な考えだったのか、、
抗がん剤がそんなに楽なわけがないよね、、


 ほんとに食塩水だったのかな。
弟は、“仮に食塩水を打ち続けてたとしたら今の状態はたいしたもんだ!最大限協力します。がんばっていこう!” と。


確かにそうだ!(弟に同調してばっかですけど、、)


どちらにせよパパの状態は良かったし、今だってパパは元気です^^
“テモダールを再開したらまた副作用と戦う日々が来るけど、
2年は続けないといけない薬と言われていたし、
パパは淡々とがんばるだけです。変わらずね。” 




かろやかな声でそう言うパパは偉い。
そして、強い。


いつも、病状悪化の恐怖の上ででいろんなことを悟って
自分の中で受け止めてきたからなんだろうな。。
強いと思う。

むしろ周りの私たちのほうが、いつも動揺してる。。


“ママが泣いちゃってもう、大変なんだよ〜
パパが慰めてるんだから(笑)”


それくらいが、きっといいんだよね。


パパの今の収入は傷病手当のみ。まだ若いので年金も、ない。
なのにそこから約半分以上が、この手当をもらうための保険料と
昨年退職金をもらったからという理由で高額な市民税に消えています。。
退職金は、家のローン返済にすぐ消えてしまったというのに。


これからは薬代もまともにかかってしまって、苦しくなるな。
弟と私で支えていかなきゃ。


私は自分が仕事に向いてるタイプの人間じゃないと感じてるだけに、、
ちょっと不安です。

人生、いろいろあるなぁ。。

2010年12月13日月曜日

あれから1年。

ハネムーンに行ってきました!

帰国して一週間、すっかり現実の生活に舞い戻っちゃってるわけですが、、
それでもまだ余韻も波の音も残っていて、スキあらば目を閉じて思い出して浸っていますw
(これを現実逃避と言うのでしょうね、、)

それくらい楽しかった夢のような一週間だったわけですが、それもこれもパパが元気(、、?)で生きていてくれるおかげです。
安心して、今だけの特権を味わってきました!(神様、有難うございます!)

ハネムーンの話は別途たっぷりするとして、、w


先日の12月10日はパパの58歳のバースデーでした!

実家の近くの生けすのある石亭へお食事行ってきました。
風船とお花を買ってきてお店から渡してもらい、派手な帽子を被らせて(笑)ささやかなお祝いです。
最初は覇気がなく表情がなかったパパも、徐々に気が晴れてきたのか、笑顔が戻り、楽しんでくれたと思います。


思えば全ての始まりはちょうど一年前。
本当にいろんなことがあった「怒涛の一年」でした。


おじいちゃんの死去、パパ誕生日に人間ドック、クリスマスにガン発覚、年始に余命1,2年と宣告され、手術直前に家族で温泉旅行、すぐ手術、入院、治験開始。
私の引っ越し(実家へ)、弟の転職、私の結婚、そしてまた引っ越し、、

この間、目まぐるしく変わる環境、心情、移転によく皆耐えられたもんだと今となっては思いますね。。
それほど今は、比べると落ち着いているということで、常に一緒に居るママのことも考えると、本当にありがたいことです。


嬉しかったのは、先日の通院で、いつもあまり情け容赦のない感じの(すみません、、)担当医(名医です、念のため)の先生が、パパの経過を見て「間違いなくアバスチンが入っている」、と断言してくれたことです!!
プラセボかもしれない、誰にもわからない、とされる治験に運命をかけて、ちゃんと薬の入っているグループに入れたということは本当に神様はいる!と思わずにはいられませんでした!
パパの日頃の行いが良いからですね^^

この知らせをママからメールでもらった時、仕事中でしたが胸が熱くなる思いでした。
やはり希望は持つべきですね!
もしプラセボだったら、、  考えたくもないですね。。

でもパパは相変わらずな感じで、野菜・フルーツジュースを飲み、ノートをつけ、昼寝して、体重測ってお風呂に入り、ノートをつけ、お祈りして、、いつもと変わらず淡々と過ごしていました。
パパらしい。


昨日、ある本にあった一説にとても共感しました。

「老化による身体の衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、”欠陥があるにも関わらず健やかである”という生き方を求めていくべきだと思います。」
つまり、健康とは数値に安心することではなく自分が「健康だ」と感じることであり、幸福とはあくまで心の状態であり、持続した心の平安こそがその本質である、ということです。

パパは体調に大きく波があります。
それこそ健常者には想像もつかない痛み、苦しみ、不安、絶望感というものに常に囲まれているのですから、痛みを伴う体調の悪さを感じる時にはそれはそれは意気消沈して気力を失い、表情もなくなる状態に陥ります。
それは自分でも自覚していて、メールでも「今日はダメな日です」と短い返事だけ返ってくる時があります。
それでも基本的には、普段は”ありのままを受け入れ”、”しっかり生きないとね”、”病気をしっかり生きる、ということだ”と真っ向から病気と向き合い、痛み以外のストレスはないと言います。
私が何か嫌なことがあって愚痴ったりすると、”それでいいんじゃない”と、おおらかな気持ちで包んでくれて、楽になります。
そして毎日毎晩、「今日も生きられました。有難うございます。」とお祈りするのです。

家と病院、近所の往復だけの毎日でも、希望を忘れず、今日も生きられた幸せに毎晩感謝しているパパの姿は、これこそが幸福の本質かな、としみじみ感じさせられます。


その本にはこうも書いてありました。
「人は自分の痛みには過敏だけど、幸せには鈍感である。」

急性胃腸炎で今回バースデーのお祝いに来れなかった弟(本当によく熱を出す。。ママに似て、扁桃腺が元々腫れているからそういう体質なんだそうです)は、どんなに仕事や病気で辛いことがあってもパパの辛さはこんなもんじゃなかった、大抵のことは乗り越えられる。
と言いました。

本当にそう。
私はストレスをため込みやすいタイプだけど、パパの置かれている現実、それでも”病気をしっかり生きる”と全てを受け入れる強さを考えると、謙虚な気持ちになれて何でもない日常でも幸せをかみしめることができるようになりました。

ただし、以前の自分とは違うな、、と思うところは、何気ない会話なのでしょうが、人を小馬鹿にしたり謙虚でない態度の人たちをみると、すごい拒否反応を示してしまうところ。。
以前は流せていたことでも、今は本当に嫌気がさしますね。
何様なんだろうって。
本人たちにとってはとるに足らない、面白可笑しく話しているだけなんですよね。。
そういう時は黙って聞いて、しばらくは距離を置いたり時間を置いたりして心を沈めます。
私はまだまだですね。。

パパの、”それでいいんじゃない”精神でこれからも皆で笑いながら、楽しい時間を過ごして行きたいな。ずっとずーっと。

パパ、Happy Birthday.
生きていてくれてありがとう!