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2011年7月30日土曜日

現実

昨日、帰ってからのパパはずっと無言で暗かった。
気分の浮き沈みが激しいのはいつものことだから、特に触れませんでした。

パパが寝た後、実は今日会社で パパがとても仲良くしていた方に怒られたらしいと ママから聞きました。
パパは会社にやっとの思いで行っても仕事がないので 他の方のやっていることを聞いて今の会社の状態を把握しようとしていたらしいのですが そうやって病人が会社の中でフラフラして 仕事してる人達の邪魔をしないでくれと 言われたそうなのです。
厳密には その人はそんな風には言ってはいないと思います。
おそらくパパがそういう風に受け止めてしまったのだとは思います。

会社に行きだした頃から おばあちゃんまでもが危惧していたことです。
会社のお荷物にならないか、そのうちパパにかまわなくなって パパが仕事もしていないのに放置されて寂しい思いをしないだろうか。

いくら、病気の進行を抑えてるとはいえ、たまに会社にも行けるとはいえ、いつ来るかもわからない病人の状態では仕事なんてもらえるわけがありません。あくまで職場に「通う」練習をすること、病院だけでなく社会とつながっていることを実感するために行くなら意味があるかなと思っていましたが、辛い現実を見て 落ち込んでしまいました。
パパの気持ちが痛いほどわかってまた ママが泣きます。

本人がどこまでわかっているのだろう、そんな気持ちがありながらも見守ってきましたが、やっぱり、、。


パパの脳の正常細胞はガン細胞が(薬で抑えているため)ゆっくり浸潤し蝕んでいます。
特に前頭葉の部分に浮腫が広がっているので、感情を統制する機能がうまく働かないのではと思っています。元気な頃と比べて もちろん、だいたいは普通に会話できますが、姿も中身も もう別人のようになって久しい。
健常者からは想像もつかないけど、そんな自分とも必死に闘っているはずです。

生きているのも拷問だ

そんな風に言うことがあります。
もはや理性もプライドも持てなくなってしまったら生きるってなんなんだろうなと思ってしまうけど
そんなことをぼんやり思いながら眠りにつきました。


でも 今日のパパは機嫌がいいみたい。
もう忘れているのか、とりあえず考えないことにしたのかはわからないけれど、そのままでいてほしいです。

天気もいいしね。とりあえずは、良かったなぁ。

2011年7月22日金曜日

アバスチン 2クール目 終了

今日は会社を休み、頭が心配なママの代わりにパパの病院に付き添いました。
アバスチン投与のため、です。
今日の睡眠3時間。昨日も、3時間くらい。
ものすごく眠い。。。

しかし起きたらパパはもういなくて、体調の悪いママを気遣って一人で病院に行ってきますとメモが置いてありました。

病院のアポは10時半の予定だったので これまたずいぶん早いなと、、眠れなかったのかな、など思いながらも弟にせかされながら準備し、病院へ。

ちゃんと、受け付けも済ませ 待合室でぼーっと待っているパパを見つけ、おはようっと隣に座ったらびっくりしてました。

点滴を受けている約45分の間、待合室の椅子で爆睡して、足がかつてないくらいにしびれた、、(苦笑)
点滴の針は太くて 骨と皮の間の 肉がほとんどないようなところに刺すから、すごい痛いのだとパパが言っていた。痛そうだった。。


2クール目の3回目がこれで終わりました。

昨日のMRI画像を見ながら担当医のO先生は、ママとパパが昨日、お金がないからもうこれで終了にする、それしかない、と伝えていたらしく、続けます、ときっぱり意思表示をしたら、びっくりして、ちょっと安堵して、でも果たして本当に支払続けられるのかどうなのか と半信半疑、な様子でした。

何度も、話の最後には 続けるということでいいんですね?と確認されました。

私はきっぱり、「効いている間は、可能な限り続けます。お願いします。」と伝え、先生もよし!という感じでなんとなく安堵の表情を浮かべ、スケジュールを伝えてくれました。


O先生は淡々としていて言いにくいこともあまり躊躇なく患者本人に言うし、表情もあまりないですが、でも話はずっと聞いてくれるしこちらが納得するまで付き合ってもくれる、先生として一生懸命考えてくれているということも伝わってくるし、時にユーモアも混ぜて話してくれる。

いい先生です。

帰りには ママもおばーちゃんも行ったことのある築地のお寿司屋さん すし三昧で、パパと遅いお昼を食べました。
あまりに睡眠不足のせいか、すぐに、苦しいくらいおなか一杯に。。。^^; 
ママのために持ち帰り用も手配したら、ママ、きっと喜ぶぞ~ととっても嬉しそう。台風のピークだといわれていたにも関わらず結局雨は降らず 青空も出て、ずっと険しい顔をしていたパパの表情もやわらかくなって、最近面白かったTVの話で笑ったり うたた寝しながらいい気分で帰ってきました。

帰ってきて開口一番、ママに頭はどうだ?と具合を聞きます。
大丈夫と聞くとほっとして、お土産話をして、すぐに寝ちゃいました。


結果が良かったから安心したんだろうねと、ママもほっとした様子。


でも 先生が言っていたことは決していい知らせではありません。

前から何度も念を押すように言われていますが、アバスチンは今現在、日本では未承認薬でありながらもパパの病気には一番効果がある薬です。現に進行が抑えられているという結果が出ている。

でも 完治する薬じゃない。

特殊な薬(誰でも使えるわけじゃないし、治検の結果くらいしかまだ日本にはデータがない)なだけに、これまでのアバスチンを受けた人の流れというのはアバスチンを続けていながらも再発してやむなく止める、薬を替える、という場合がほとんどで、お金が続かなくなって止める、ということはなかっただけに、パパの場合、始めたはいいものの止め時が難しいと、私たちも先生も、自覚し、悩んでいました。

私も弟も、貯金はほとんどないし、今後のことを考えるとすべて使い切ることに少なからず躊躇がありました。。

だけど 今私は働いていて、給料ももらっている。少なかろうが、貯金が少しはある。これらを薬代に使い切ったとしても、その後また稼いでいけばいいじゃない、、、

私たちには先があるけれど、パパには、今しかないのだ。
万能薬じゃないだけに、再発するまでどのみち長くはないという。
今、できることをできる限りやらなくてどうする。

そう思い直してからは、気もちが吹っ切れ 効果があるうちは、続ける!と心に誓ったのです。

でもそれはあくまで家族の意思。
パパは、できるだけ苦しまずに あの世に行けるなら もういつでもいいんだと 言います。
期間がどう変わろうと、結果がわかっているだけにそんな大金を遣ってほしいとは思わないと。。
でも ママが泣くから 一人遺すのがかわいそうだから 頑張って元気になって働いて 面倒を見てやりたいんだ それだけなんだ、、 と。。

だから、効いているうちは少なからず元気でいられるアバスチンを、続けることには意味があるんだよと話し、お金の心配もしなくていいと なんでもないように話しました。
パパは そうか、、とどこを見るでもなくうつろな目で宙を見つめ アバスチンを続けることを了承してくれました。


先生には詳しくは話しませんでしたが、こんな家族の気持ちを察してくれていると思います。

喧嘩した話もしたら、喧嘩なんかしないで仲良くしてください、とちょっと笑いながら諭してくれました(笑)



実家のトイレには、よく田舎の家にあるように、格言集のような日めくりカレンダーみたいなものが掛けてあります。

今日の一言:

明日を思い患わず 今に生きよ
今を生きる者は 幸いなり



2011年7月21日木曜日

喧嘩

今、弟とパパが ママを連れて病院へ行きました。
今何時なんだろう、、 2時半だ。もちろん午前です。

それはそれは高額な未承認薬と少し借金を抱えながらの生活。傷病手当期間が終わってしまった今、今後どうするか、について冷静に話し合おうとしていただけだったのに。

仕方のないことだけど、パパママはどうしても客観的視点に欠けてしまっている状態だ。 半ばやけにもなっている。 
話していると、私と弟も冷静さを欠いて 感情的になっていき あげく家族みんなで大ゲンカ。

日頃の疲れ、悲しみ、憤りから ママは見たことがないほど発狂し大声で泣きわめき パパと一緒に死んでもいいなんて言い出し それに対して弟も見たことがないほどに怒り、パパも大声を出してママを責めるなと 私たちに怒った。

責めてるつもりはもちろんないのだけど、パパママに論理的思考なんてもはやできるわけがない。責められているように感じさせてしまったんだ。
でもわかっていても、頑張るって言ってほしかったんだな、、充分すぎるくらい、ママはずっと 頑張っているのに。
それに卑屈なことを言うパパにも、もっと前向きなことを言ってほしかったんだ。
それこそ充分すぎるくらい、誰よりも辛い毎日を過ごしてきているのに。

でも私も弟も 自分たちなりに、できることを精いっぱいやっているし、やっていく覚悟はある。それをないがしろにされた気持ちになって、納得がいかなかったんだな。。つまり私たちも冷静さを欠いていたわけだ。
やっぱり、私たちも 辛いから。


最初こそ大声出してしまったのは私だけど、親兄弟が怒鳴り散らし始めたらさすがにもう言葉は出ない。。なんでそんなことを言うんだろうという悲しみや絶望感でいっぱいだった。

でもそんなに半狂乱になるママは初めてだったし、その辛さ、やり場のない深い悲しみ、憤りはいやというほど伝わった。
大声を張り上げて泣き出したママを見て抱きしめずにはいられなかった。
腕の中で暴れるママを 逃がさないように離さないように しっかりと抱きしめた。ごめんね、ごめんねって言いながら。


頭が痛いって 急に頭を抱えてうずくまり、呼吸が乱れながらも、パパがたまに発狂して家を飛び出していく気持ちがよくわかった、おかしくなったんだと思ってたけど、やり場がなかったんだね、今までごめんねって、泣きじゃくりながらパパに何度も謝った。

パパはずっとママをかばい、背中をさすって優しい言葉をかけ続けた。私たちには、お願いだからママを追い詰めるようなことは言うなと、びっくりするぐらい大きな声で 怒った。

弟はね、ずっと私の味方をしてくれてたんだ。
言っている内容はしごくまともで、優しいことを言っているんだけど、ただ言い方がきついだけなんだよって。内容を聞いてって。

でもパパはずっと謝り続ける。すべての原因はパパにある、ごめんなさいって。 お金をジャバジャバ薬に使わないでいいって 言う。
私は、怒るわけにいかないと思ってたのに、口調はどうしてもきつくなってしまったんだな。。そんな風に言わないでほしいっていう気持ちが強くて。
それでこんなことになってしまった。 原因は私か。。。

今3人は病院にいます。

行く前ママが、(弟)を怒らせてしまったって泣きじゃくりながら謝っていた。
そして ぼーっとしてしまって表情が氷ついた私に抱きついてきて ごめんねごめんねって何度も謝った。一生懸命になって考えてくれてるのにママがわかってなかったね、ごめんねって。さっきずっと抱きしめてくれてありがとうね、ママにはそうやって抱きしめてくれる人がいないから嬉しかったよって、泣きながら 何度もありがとうねって 言ってくれた。

だから言ったでしょ、ママは一人じゃないんだよ。
だからもうどうでもいいなんて言わないでよ。。

すでに大分落ち着いてきてたけど、夜間診察の予約とったから念のためと言って病院へ行った。
弟がいるから安心と思って私は残った。やっと、私も落ち着いてきた。。

しかし、どこか頼りなさげだけど心が優しくて 人情に厚く道理がわかる弟がいて本当によかった。もし一人っ子だったとしたら、心の冷たい兄弟だったら、本当に辛かっただろうし 支えるにしてもかなり限界があるよなぁ。。
いつか子供を持つ日が来たら、最低二人はほしいなとしみじみ感じました。

パパも怒鳴るほどの元気があるのを見て、複雑ながらもちょっと嬉しかった。普段は消え入りそうな声でしゃべっているからね。


しかし、昨夜も調べ物で 寝るのが明け方くらいになってしまって
いたというのに、また寝不足だよ、、、

残業しなくなってもこの生活は変わらないんだなぁ。。