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2011年10月30日日曜日

週末介護

40日の化学療法&放射線を耐えきりました。

でも、すっかり弱ってしまって次の治療に耐える体力はもうないと判断され、、地元の病院に移ってきたのでした。

10月16日が退院日でした。
その日は弟の誕生日でもあったので、弟嫁が病院近くのホテルをとってくれ、皆でお祝いしました。
築地の新阪急ホテルという、聞いたことないとこだったけど、すごーく素敵な部屋でした!

私は用事があったので夜になってから行ったのだけど、病院が併設されていて、部屋のお風呂はバリヤフリーで車椅子で入れるようになっていました。でもステキな造りなんです!
弟が早々とお風呂にいれてあげたそうです。
30階で、眺めも最高~

私が到着して、また乾杯して、一段落ついた頃、パパが私に話し始めました。
「今日はね、Rくん(弟)にウソつきって言ったんだよ。来る来るって言って全然来ないから、やーっときた時、ツバをぺって吐きかけてやったんだよ。でも届かないから何回もペッペッってやったんだよ。
パパはね、ずーっと、ずーっと、ずーっと、ずーっと(以下略。10回くらい)、待ってたんだよ。」

厳密に言うと、弟は退院日に迎えにくると早くからママが言ってたために、弟大好きなパパは毎日、今日はまだか、今日はまだかと待ちくたびれてしまって、可愛さ余って、、怒りに変わってしまったようなのです。

弟は、言動がおかしくなったパパを意外とあまり見ていなかったのでショックを受けていて、こわばっているのが空気で伝わってきました。

私はもう慣れていたのでパパに、「すっきりした?」 と言ったら
「うん」←すごいさっぱりと
「そりゃー良かった」

しばらくシーンとして弟が何を言うかなと思ったら、こわばりながら、
「お待たせいたしました、、」

私は "やるな、コイツ。。" とやっぱり弟のユーモアは素晴らしい!と感心。

でも実は本気で相当ショックを受けていたようです。
よっくわかる。 でも、こういうことも受け入れていかなきゃ、こちらの身がもたないんだよね。。

翌日は姉弟3人でレストランで朝食。
弟嫁はほわ~んとしてて、私も素で居られるから楽なんだよね♪
たまにはこういうのいいねと思いつつ、会社へ。

弟は地元の病院への移動を手伝ってくれました。

ここはあくまで普通の病院だけど、地元なのでなんと言ってもママの通院(見舞い)が大分楽です。

それにしてもがんセンターとは全てが正反対(笑)
5階だての2階で、ナースは皆恰幅のいい、声も大きいおばちゃんばかり。
パパの細かい要望も、できないと言われることが多くて最初はブツブツ言ってました。
でも慣れてきたら、そのおばちゃんナース(といってもそこまでじゃないけども!)たちの対応が温かい感じがするとまんざらでもない様子。
それに、治療をしなくなったら段々食欲も戻り、不機嫌に当たり散らすことも減り(少し)、週末帰宅ができるようになったんです。

もう脚が弱り切っているので介助がなかなか大変だけど、ママもパパも明るくなってきたからほんとに良かったなって思います。


もう何でも食べさせてあげたいと、お肉も、バターも、ミルクも、何でも食べていいよって欲しがるものをあげてます。
パパは前までは異常なほどチョコレートを欲してましたが、今はなぜか"ココナッツサブレ"一筋。。
一日に1パックは食べます。
あとパンが大好き。
食事中も、中華でも米でも、うどんでも、レーズンパンを横に持ってきて交互に食べてます。
えーって感じだけど、本人がそれでいいならと好きにさせていたら、こないだは食べながら吐いてしまいました。。
やっぱり食べ過ぎだったんですね!

ひょっとしたら、というかうすうす感じてましたが、、脳の満腹中枢がおかしくなってしまっているのかもしれません。
こりゃいけんと、パパの止まらない食欲にストップをかけるようになりました。
機嫌を損ねないよう注意して、、。


トイレも行くんだけど、もう大分前からおしめしてます。
下の世話はほとんどママだけど、これも一人じゃなかなか大変なんです。
ナンバー1も2も、本人も気づかないうちにでてしまっているので、そうしたらママを呼ぶ、という流れ。(汚い話ですいません)
がんセンターでは、しょっちゅう漏れて全身ビショビショになってしまっていたけど、今の病院ではほとんどそれがなくなったので聞いたら、コツがあるのよって言って教わった方法でママもやるようになりました。
さすが、年の功?
でもママがおしめかえると毎回汗だくです。


病院ではお風呂はもちろん、身体をふいてくれることもなくなりました。。
週末帰ってきた時くらいは、と、頑張ってお風呂にいれてあげるようにしています。
あまりに立てない時は、私が入れてあげてます。身体も髪も顔も、綺麗に洗ってあげます。
もうパパのおちんちんは見慣れました(笑)

ほとんどはママがお世話してるけれども、力や体力が及ばない時が当然あって、こうしてママと二人三脚で介護してます。
ベッドに戻って着替えてやっと一段落つくと、いつも、「ありがとうね」って心から言って力強く握手してくれます^^
(うちはハグする習慣ないので、、なんか男同士みたいです(笑))

基本的にはおとなしくなったのですが、それでも時に予想できない行動をします。
ママが出かけていて、私は自分の部屋にこもっていた時、なにやら玄関の方から声が、、
「○○さぁ~ん、○○さぁ~ん!」 となにやらただ事じゃない感じの声が聞こえ、急いで玄関行ったらパパが玄関の外で倒れてる!
近所の人がそれを見つけ、呼んでくれたのでした。

とにかくパパを抱き上げ、ご近所の方が手伝ってくれて一緒にベッドまで連れてきてくれました。
そこへママが帰ってきて、泣きそうな顔で「何があったん?!」
自分がちゃんと見てなかったから、、と反省しきりです。。

しかしいつも2人で支えないと歩けないのに、よく一人で玄関まで、、
「パパ歩けるんじゃん」 と言ったら、
「歩けるんじゃなぁ。。」 と自分でも不思議そう^^;

病院でも、一度倒れて目のすぐ上を打って怪我してて、何があったのと聞くと同室のおじちゃんがどうも徘徊グセがあるらしく、夜中うろうろするのでなんだかパパもつられて立とうとしたら倒れてぶつけた、と。。

ヒヤヒヤしますね。
でも介護って、こんな感じなのかな、となんとなく思いました。
お風呂にも入れられるし、まだ楽な方なのではとも思います。


病院との行き帰りは介護タクシー使います。車椅子ごと乗るのです。

こないだ病院に戻る時に一緒に乗りました。
大きなワゴン車で、前に座って後ろのパパとママを見てました。
もうすっかり夜で薄暗い中、パパは車椅子ですごく高い位置にいるのでなんだが荘厳な感じすらして、その横にニコニコしたママが静かにちょこんと寄り添って座ってます。(ママは基本ニコニコした顔してます)

すぐ着いてしまうから短い間だったのに、とても静かで平和で、温かい空気に包まれていました。
私は背もたれにかけた腕に顔をうずめながら、あぁ、、一生懸命生きてるこの二人に私は一生懸命育てられてきたんだなと、、
胸がじわっと温かくなるのを感じて涙で視界が滲みました。

私は過保護、過干渉な育てられ方をしてきたので反抗期がかなり長く、実は未だに抑えられない反抗心に苦しむことがあります。この歳になっても(泣)ACなのかなと時に不安になります。。
でもこうして一生懸命生きてる姿をみると、そんな苦しさも吹き飛びますね。
二人には二人の生き方で、本当に幸せになってもらいたい、心から思います。