Powered By Blogger

2010年12月17日金曜日

MRIの結果。

今日、ママから来た知らせにびっくりしてしばらく思考回路が止まってました。。


“少しだけど再発していました。治験は終了です。パパは冷静だよ。ママは涙が出ちゃったけどね。”


“?!”


しばらくよくわからなくて、なんだか不安でしょうがなくなった。。
アバスティンは完全に治すものではないということはわかっていたけど、
でも効いてくれれば、今現在日本で行われている抗がん剤よりは
延命の可能性が高くなる、そう期待していただけに今日のこの知らせはショックなものでした 



 仕事終わってからよくよく話を聞いてみると、
点滴(アバスティン、かプラセボ)のみの治療に代わってから
 約2ヶ月前経った今、少しだけ、腫瘍が大きくなっていたのだと。


 アバスティンは入ってなかったんだねぇとママが言うから、
先生は薬入ってるって言ってたんだよね?!と聞いたら、、
ママはそういったと思ったんだけどねぇ、パパは反対のことを言ったと言っててよくわからないのよ、と。。


全然わからない><


パパは、“薬なんか入ってないと思ってた、だって副作用がほとんどなかったからねぇ。”


確かに、、
血尿とか、石がしくしくして痛かったりというのが続いたから気づかなかったけど、テモダール飲んでたときは飲んでる間ひどい副作用があったのに、点滴だけになってからはそれがなくみるみる元気になっていた。


むしろそれが薬が効いてる証拠だなんて思ってました。
なんて安易な考えだったのか、、
抗がん剤がそんなに楽なわけがないよね、、


 ほんとに食塩水だったのかな。
弟は、“仮に食塩水を打ち続けてたとしたら今の状態はたいしたもんだ!最大限協力します。がんばっていこう!” と。


確かにそうだ!(弟に同調してばっかですけど、、)


どちらにせよパパの状態は良かったし、今だってパパは元気です^^
“テモダールを再開したらまた副作用と戦う日々が来るけど、
2年は続けないといけない薬と言われていたし、
パパは淡々とがんばるだけです。変わらずね。” 




かろやかな声でそう言うパパは偉い。
そして、強い。


いつも、病状悪化の恐怖の上ででいろんなことを悟って
自分の中で受け止めてきたからなんだろうな。。
強いと思う。

むしろ周りの私たちのほうが、いつも動揺してる。。


“ママが泣いちゃってもう、大変なんだよ〜
パパが慰めてるんだから(笑)”


それくらいが、きっといいんだよね。


パパの今の収入は傷病手当のみ。まだ若いので年金も、ない。
なのにそこから約半分以上が、この手当をもらうための保険料と
昨年退職金をもらったからという理由で高額な市民税に消えています。。
退職金は、家のローン返済にすぐ消えてしまったというのに。


これからは薬代もまともにかかってしまって、苦しくなるな。
弟と私で支えていかなきゃ。


私は自分が仕事に向いてるタイプの人間じゃないと感じてるだけに、、
ちょっと不安です。

人生、いろいろあるなぁ。。

2010年12月13日月曜日

あれから1年。

ハネムーンに行ってきました!

帰国して一週間、すっかり現実の生活に舞い戻っちゃってるわけですが、、
それでもまだ余韻も波の音も残っていて、スキあらば目を閉じて思い出して浸っていますw
(これを現実逃避と言うのでしょうね、、)

それくらい楽しかった夢のような一週間だったわけですが、それもこれもパパが元気(、、?)で生きていてくれるおかげです。
安心して、今だけの特権を味わってきました!(神様、有難うございます!)

ハネムーンの話は別途たっぷりするとして、、w


先日の12月10日はパパの58歳のバースデーでした!

実家の近くの生けすのある石亭へお食事行ってきました。
風船とお花を買ってきてお店から渡してもらい、派手な帽子を被らせて(笑)ささやかなお祝いです。
最初は覇気がなく表情がなかったパパも、徐々に気が晴れてきたのか、笑顔が戻り、楽しんでくれたと思います。


思えば全ての始まりはちょうど一年前。
本当にいろんなことがあった「怒涛の一年」でした。


おじいちゃんの死去、パパ誕生日に人間ドック、クリスマスにガン発覚、年始に余命1,2年と宣告され、手術直前に家族で温泉旅行、すぐ手術、入院、治験開始。
私の引っ越し(実家へ)、弟の転職、私の結婚、そしてまた引っ越し、、

この間、目まぐるしく変わる環境、心情、移転によく皆耐えられたもんだと今となっては思いますね。。
それほど今は、比べると落ち着いているということで、常に一緒に居るママのことも考えると、本当にありがたいことです。


嬉しかったのは、先日の通院で、いつもあまり情け容赦のない感じの(すみません、、)担当医(名医です、念のため)の先生が、パパの経過を見て「間違いなくアバスチンが入っている」、と断言してくれたことです!!
プラセボかもしれない、誰にもわからない、とされる治験に運命をかけて、ちゃんと薬の入っているグループに入れたということは本当に神様はいる!と思わずにはいられませんでした!
パパの日頃の行いが良いからですね^^

この知らせをママからメールでもらった時、仕事中でしたが胸が熱くなる思いでした。
やはり希望は持つべきですね!
もしプラセボだったら、、  考えたくもないですね。。

でもパパは相変わらずな感じで、野菜・フルーツジュースを飲み、ノートをつけ、昼寝して、体重測ってお風呂に入り、ノートをつけ、お祈りして、、いつもと変わらず淡々と過ごしていました。
パパらしい。


昨日、ある本にあった一説にとても共感しました。

「老化による身体の衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、”欠陥があるにも関わらず健やかである”という生き方を求めていくべきだと思います。」
つまり、健康とは数値に安心することではなく自分が「健康だ」と感じることであり、幸福とはあくまで心の状態であり、持続した心の平安こそがその本質である、ということです。

パパは体調に大きく波があります。
それこそ健常者には想像もつかない痛み、苦しみ、不安、絶望感というものに常に囲まれているのですから、痛みを伴う体調の悪さを感じる時にはそれはそれは意気消沈して気力を失い、表情もなくなる状態に陥ります。
それは自分でも自覚していて、メールでも「今日はダメな日です」と短い返事だけ返ってくる時があります。
それでも基本的には、普段は”ありのままを受け入れ”、”しっかり生きないとね”、”病気をしっかり生きる、ということだ”と真っ向から病気と向き合い、痛み以外のストレスはないと言います。
私が何か嫌なことがあって愚痴ったりすると、”それでいいんじゃない”と、おおらかな気持ちで包んでくれて、楽になります。
そして毎日毎晩、「今日も生きられました。有難うございます。」とお祈りするのです。

家と病院、近所の往復だけの毎日でも、希望を忘れず、今日も生きられた幸せに毎晩感謝しているパパの姿は、これこそが幸福の本質かな、としみじみ感じさせられます。


その本にはこうも書いてありました。
「人は自分の痛みには過敏だけど、幸せには鈍感である。」

急性胃腸炎で今回バースデーのお祝いに来れなかった弟(本当によく熱を出す。。ママに似て、扁桃腺が元々腫れているからそういう体質なんだそうです)は、どんなに仕事や病気で辛いことがあってもパパの辛さはこんなもんじゃなかった、大抵のことは乗り越えられる。
と言いました。

本当にそう。
私はストレスをため込みやすいタイプだけど、パパの置かれている現実、それでも”病気をしっかり生きる”と全てを受け入れる強さを考えると、謙虚な気持ちになれて何でもない日常でも幸せをかみしめることができるようになりました。

ただし、以前の自分とは違うな、、と思うところは、何気ない会話なのでしょうが、人を小馬鹿にしたり謙虚でない態度の人たちをみると、すごい拒否反応を示してしまうところ。。
以前は流せていたことでも、今は本当に嫌気がさしますね。
何様なんだろうって。
本人たちにとってはとるに足らない、面白可笑しく話しているだけなんですよね。。
そういう時は黙って聞いて、しばらくは距離を置いたり時間を置いたりして心を沈めます。
私はまだまだですね。。

パパの、”それでいいんじゃない”精神でこれからも皆で笑いながら、楽しい時間を過ごして行きたいな。ずっとずーっと。

パパ、Happy Birthday.
生きていてくれてありがとう!

2010年11月22日月曜日

軽井沢未遂

前回のブログから早3ヵ月強、、


実家→Tとの新居へと引っ越したのを境に、ぷっつり書けないでいました。


やっと新居は落ち着いたけれども、仕事もかなり落ち着いてる時期だけれども、自分の拠点が落ち着くとそれなりにやることがちょこちょこあってあっという間に一日が終わる@@


(それまでもTと一緒に暮らしてた時期はあったけど、
やはり今の方が断然、家事をちゃんとやるようになりました^^ゞ)


時の経つのは早いものであっと言う間にもうすぐ年末!
書きたいことは山のようにあったのに、
時間が経つほどにもう溜まりすぎて逆に書けなくなっていました^^;


でもこれ以上溜まっちゃうともうどうしようもなくなるので
記録のためにやっとこさ。。




7月末。


もうすでに猛暑だったかな、7月最後の週末に、
家族で軽井沢へ行こう~と、弟嫁の発案で計画してました。


パパは治療も上々で、アップダウンはあるものの散歩に毎日ちょっとずつ出るなど
(部分的にあちこちある不調を除いては)元気だったから、かなり楽しみにしてました。


ママなんかは「アウトレット行きたいって」それはそれは楽しみに、
毎日のようにガイドブック見てルンルン。
アウトレットはさすがにパパ休んでるしかなくて、それなら一緒じゃないほうが、、
とも
思ったけど、ママが非常に嬉しそうなのでまぁ、いいかと。


パパはやはり自分で心配はしてましたね。
そうしたらやっぱり、当日は朝からかなり具合悪そう。。
なんとか電車に乗ったものの、ずっとお腹をさすってうつむいて。
ママがずっと励ましながら、なんとか東京駅に着き、なんとか切符を
買ったものの、遅れた弟夫婦を待ってる間にみるみる悪化して
座ってるのもきつい、やっぱり軽井沢は行けない、、という状態に、、


パパは一人で帰るから皆で行っておいで、というけど
一人にできるわけもなく、慌てて切符を払い戻し、
ホテルにもかけあって、当日キャンセルは全額もらう、と言い張るホテルに対して
交渉のすえキャンセル料無料にしてもらい(10万だったから家族に超感謝されましたw)、
その日はおとなしくおうちに帰りました。


パパはめちゃくちゃ具合悪そうでひたすら寝てるし、
ママはいろんな思いでいっぱいという感じで寂しそうにため息つくばかり。


残念だけど、こればっかりは、、
仕方ないよね。。






次の日の日曜日、私がせっせと引っ越しの準備している横で、
パパは鼻歌を歌いながらつられて本棚の整理。


ママは「ずいぶんご機嫌ね!」とチクリ(笑)


「なんだか今日はやたら調子がいいぞ ♪~」
だって。顔色もいいし、そ~~りゃ良かった^^


ひょっとしたら、勝手知ったる安心して暮らせる我が家から出て
遠出をするということ自体が、心身的なストレスになっていたのかもしれないな。。




次に家族旅行できるのはいつだろうかと
思いをはせながら、せっせと準備を進める私なのでした。

2010年7月16日金曜日

親というもの

今朝、パパが泣いていました。

今日に始まったことではないですが、今朝は結構激しく、肩を大きく震わせて泣いていました。


この1,2週間、ちょっと、私個人的に辛いことがありまして、パパママもすごく心配させてしまってそれはそれは大騒動でした、、

反省、、

でも二人が親として、一緒に私を助けよう、守ろうとしてくれた必死な姿は、私の心に深く深く刻まれ、本当にありがたかったし、嬉しかったし、「親」としての姿に本当に感動しました。

自分もいつか親になったら、こんな風に無償の愛を子に注げる親になれるのだろうか。。
(ってそんなこと言ってちゃいけないですね 汗)


昨夜、問題解決した後、パパは「良かった、良かった」としきりに言い、

「人生、いろんなことがあるなぁ。いろんな経験させてもらってるなぁ、、」

としみじみ、目に涙を浮かべてつぶやきました。

実家から持ち帰っていたパパの子供の頃のアルバムを開いて、どんな子供だったかとか(すごい可愛い)、中学生の時に大腸がんで亡くした綺麗だった母親の話、目の前で弟が溺れかけた時に池に飛び込んで助けたという父親の話、歳の近い伯父さんが両親(つまりパパの祖父母)を同時に亡くし、それから一緒に暮らすことになったという話、警察犬の息子のくせにアホで大好きだった犬の話、、、

いろいろ話してくれました。


今朝、リビングのソファに座るなりまたアルバムを開き、大ママ(パパのママ)を見ながら激しく泣きだした時は私も母もすぐには言葉が出ませんでした。

「最近、本当に涙もろくてねぇ」

一緒に涙しながら肩を組み、「パパは大丈夫だよ、、」というのが精いっぱいでした。
出社前のバタバタな時ではあったけど、時間が止まったようでした。


ママは、「パパはすぐに死なないから心配しなさんな!しっかり長生きして、アメリカの年金ももらわないけんのよ!」

と泣きながら笑って言って、パパも笑いながら泣いていました。


そうは言ってももう遅刻しそうな時間。名残惜しくも 「じゃ行ってきます!パパ行ってくるね!」
と大慌て。

振り返ると、いつも、玄関から顔尾を出して見えなくなるまで手を振って見送ってくれるママの後ろからパパも顔を出して手を振ってくれていました。

自転車だったしちょっと離れてるので一瞬の光景でしたが、いつまでもその姿が頭に残りました。



最近は、もう何クール目なのでしょうか、数週間おきに点滴、テモダールを5日間、という生活で、もうすっかり自分一人でがんセンター、耳鼻科、歯医者、と元気に行けるようになっていました。
穏やかな日々でストレスフリーで、毎日笑っていられるようになって本当に良かったな、と家族でホッとしていました。
こないだの週末は、二人で近くの「野鳥の楽園」へお散歩行ったりして、大自然が大好きなパパが生き生きと鳥や動植物の名前や説明をしてくれてパパって結構すごいなと思ってました。(鳴き声や葉っぱの形でわかるんですよ!歩く人間図鑑でした!)

髪の毛も、赤ちゃんの産毛状態から短い芝生くらいにまで伸びたんですよ!(腫瘍がある右側はなかなか生えませんが、、)
食事も、恐る恐るでもいろいろ食べれるようになってきたのでママも一安心。
(それにしてもママの作る野菜ジュースは相変わらずあまり美味しくない。。笑)

でも以前からできやすい石(結石)がまたしくしくし出して、不安そうな、険しい表情をしてじっとお腹を押さえていることが多くなりました。
もう先月からですが、、血尿がたまに出るというのが続いているので、その時はやはり不安げです。

がんセンターのドクターは専門ではないからでしょうか、あまり気にしていない様子。。


そんな時に私なんかの為にまた心配させてしまって、本当に反省です。(ばーちゃんには怒られました。。)

やはり何も心配せず、笑っているパパがいいです。


月末に実は、弟夫婦と一緒に軽井沢行くんです!!
弟お嫁ちゃんがとってくれました。

ずっと、入院後はパパがなかなか躊躇していたので、久々の家族揃っての遠出で楽しみです!

2010年5月15日土曜日

パパが走りだした!

最近、パパが走り始めました!!

と、いっても今までみたくランニングってわけじゃもちろんないですが。

心配していた第二クールは、挙式前日から始まりましたが、5日間のみテモダール飲み続けたら、またお休みに入ったのです。
そして昨日の13日、木曜日まで休薬期間だったので、それまでに暖かくもなってきたこともあってか、ちょくちょく散歩やお出かけをするようになり、一緒には行けなかったけど、ママとばーちゃんと湯島天神のツツジ見に行ったり耳鼻科行ったり(一人で!!)するまで元気になってきました。

そして先日、ママとバーちゃんとお散歩してるときに、急に走り出したのです。
本人曰く、急に走りたくなった、たった数十メートルだけど、生きてる喜び、活力みたいのが湧いてきた。
と、、。

今日は9千歩歩いた、今日は1万歩もあるいたぞ!
などとメールが来るたびに、嬉しくってわくわくします^^

ずーと、痛くて食べれなかったオレンジまで恐る恐るだけど食べれるようになりました!


このまま、何事もなかったかのように腫瘍が消えて、また元気を取り戻す気がしてなりません!
温泉は、自分の体みたら他の人がびっくりして嫌がる、と言ってまだ行きたがりませんが、今くらい元気だったら少しだけ遠出もできるでしょう!
楽しみです^^

~4/29  28日間休薬
4/30  放射線+テモダール+アバスチン
5/1~5/13 休薬
5/14 放射線


明日はばーちゃんが九州へ帰ります。
世話好きで、家事のプロで、可愛くて、癒されるばーちゃんが居なくなったらどんなに寂しくなることか、、
ずっと同じ部屋で寝てて、私が残業ばかりで基本的に遅いから背中とかさすってくれたり、ばーちゃんなのにだれよりも行動的で優しくて、なんでも相談すると必ずためになることを話してくれました。
(寝てる姿まで可愛いので写真撮ったりしてました 笑)


寂しくなるよぉ(泣)


次はじーちゃんの一周忌が明けてから。

それまでパパもみんなも元気で頑張っていきましょう!

2010年3月11日木曜日

季節の変わり目

火曜日は強い風の吹き荒れる雪だったのに、、昨日、今日はめっきり洗濯日和でした。(洗濯してないけど)

今日は一般の会社では一足早いホワイトデーでしたね^^
帰り道、いっぱいギフトの入った紙袋を持ちかえるOLさんたち(自分もしかり。。)を目にします^^

だんだん暖かくなってきたとはいえ、通勤時間帯はまだ冷える。

家から駅への距離が結構あるので気候はとっても影響大。。

パパも、せっかく帰ってきても寒くて散歩できなかったし。

早くもっともっと暖かくならないかな。



そんな毎日でもちょっと楽しみが。

朝、いつも通る駅前公園の出口手前にある切り株にたまにネコが乗ってます。

何をするでもなく、ただ乗ってます。

これがもうすごく可愛いんです!なんというか、不思議な光景です。

なんせ小さい切り株の断面いっぱいにちょこんと座ってるのでべたっと体を伏せて楽にすることもできず、向きを変えたり伸びをするだけでずり落ちそうになるんです。

いつも見るわけではないけど、3回見ました。最初みたときはびっくり、写真撮って家族に送ったら、パパが、やっと見たか^^ と。

パパは毎日のように、通勤途中に遭遇してたそうです。
TVの珍百景にも出たらしい。

時間帯があるらしく、ママは一回だけ、弟は見たことがないらしい。

パパは、自分と同じ体験を私がしたことがちょっと嬉しかったようです^^

ネコを見れた日はなんだか朝から楽しくなっちゃうから不思議。十番でも、Cat Streetと勝手に呼んでるわき道があって、マロと呼んでるネコや他にも何匹もいて、いつも通るたびに探してました。

なんでこんなに癒されるんでしょうね〜〜


あ、猫好きなのでついつい長くなりました。


そして夜は星空。
最近は、大好きなオリオン座はすっかり移動してひしゃく型の北斗七星がよく見えるようになりました。

ママが通っている東大病院近くの湯島にも梅が沢山咲くらしく、今朝写真を送ってきたけどすごーくキレイに咲いてました!



季節が変わろうとしていますね。


思えば去年、おじいちゃんが入院してそのまま帰らぬ人となってしまった11月から、激動の日々、、家族皆それぞれ、休む暇なく突っ走ってきました。

未だに突っ走ってます。


パパは髪が抜け始めました。
気になるようで、ついつい触っては抜ける髪を山盛りにしていきます。。

放射線の影響で耳や顔が腫れ始め、今では強く当てている右側が半分、ものすごく腫れてしまい、平日はお見舞いに行けないので聞くところによると瞼が腫れ上がって細い視界になってしまっているとか、耳も穴が塞がれてしまほどだって、、、中耳炎も痛いしもう腫れ上がった皮膚が痛くてメガネもかけられません。
恥ずかしくて外に出れないといいます。

恥ずかしいとか以前に、可哀想で仕方ないです、、、
ママも辛そうに、そのことばっかり話します。


吐き気とも毎日毎日格闘。

「今日は4連敗だった。薬飲まずにはいられなくて、朝、昼、夕方、夜と(吐き気止めを)飲んでしまった。ご飯も食べれなかったけど、パンが出たから少し食べたよ。」

こんなメールがよくきます。

でも相当腫れがひどくなってからは、メールは来なくなりました。今日のおとんシリーズも、
もう可哀想で写真残しても仕方ないとママ。。


皆、気が気じゃありません。。
でも皆でずっと一緒に居ることはできないので、、それぞれ別々の場所にいるけど常にメールは家族全員でやりとりをして、パパを励ましてます。

ママや弟は面白いけどとても純粋で気が優しいので、頑張ってるパパをほめ称えて励ましてます。
私は結構現実的で、どうすればマシになるとか、先生にこういうこと聞いたらとか、何して気を紛らわすといいとか、なんかちょっと二人と違うな、、ちょっと優しさが足りない人間なのかしら、、と一瞬不安にもなる、、
入院時、資料とか全く読まないママや弟に変わって整理したり目を通したりしてたらパパが助かると、それぞれ得意・不得意があって家族はバランスよくできてると。言いました。
だから落ち込まずに自分は得意な情報収集で役に立てればいいなと、、思う次第です。。


ただし今は本当にバタバタしてて、、いろんな想いが駆け巡ります。


仕事と式の準備で忙しくしていてろくに話もできないどころか、週末も打合わせ等で家に居る時間がほとんどなく、、

なんのために実家に帰ってきたのか、パパに花嫁姿を見せたいばかりにパパが頑張っているこの大事な時期に一緒にいてあげられないのは果たしていいことなのか、、


実家に帰ってきたばかりの頃は、本当にそういう思いで辛かったけど、今はもう、前を向いて突っ走るしかないと思ってます。


早暖かくなって、毎年パパとママが行っている、湯島天神の桜を今度は一緒に見に行きたいな。

第一クールは3/30で終了です。
それまであと半月!

頑張れパパ!


- Posted using BlogPress from my iPhone

2010年2月15日月曜日

St.Valentine's Day

日曜はバレンタインでしたね♪

久々にお天気にも恵まれました。
風邪と虫歯で寝込んでいる弟はさておき、パパにはデッカイ愛をあげまし
た。
巨大なハート型のお煎餅です。
チョコは免疫療法的に食べないほうがいいので、、

もったいないから病室に飾っておこうかな、でも同室の人が妬けちゃうか
な、と言ってました。喜んでくれて何よりです^^ (結局すぐ食べた
ようですが)

金曜日に入院したものの、土曜にはもう外泊で家に帰ってきてました。土
日は基本的に(強制的に?)外泊なのです。先生いないから
ね。
外泊届けの理由には、気分転換と書かれていました(笑)

でも金曜日は重要な日だったのです。

また大きく発生した腫瘍、訴えていた不調等で治験が受けられないかもし
れない、と家族は不安でいっぱいだったのだけど、、
ここ数日でなんだかみるみる元気になり、先生がちょっとびっくりするく
らい元気そうなパパの顔を見るなり「やりましょうね」と言ったそうで
す。

ホッとした!!

もちろん、プラセボという偽薬のグループに入る可能性もあります。でも
アバスチンが受けられる可能性があるというのは大きな希望です!!

もう、アバスチンしか頼れるものはないのです。食事療法も、しばらくは
ガンにいいものばかりをなるべく食べ、悪いとされるものは避けてきまし
た。
(おかげで私もすっかり健康的な食事に、、)
でもある時パパはふと疑問に感じたのです。

いいものばかりを食べると栄養が偏るのではないか。

そこで野菜炒めをママにお願いしました。全部は無理だったけど、美味し
い美味しいと言って半分くらい平らげたそうです。身体が油を欲していた
と。
身体にしみわたると、それはそれは感動していたそうです。
入院前に宿泊したホテルでも、写真見たら天ぷらなんか食べちゃってる
し、病院の食事でも出た生姜焼きを半分食べたとか、、
ちょっとヒヤヒヤするけどパパいわく、身体に良いものばかりに偏った食
事をしたら栄養のバランスが崩れるんじゃないか、少しは肉でも油でも必
要なんじゃないかと。
そりゃ健康な人ならそうでしょう。。
でも、パパが食べ物でみるみる元気になったり、天ぷら御膳食べながら人
間やっぱり美味しいもの食べてる時が一番幸せ、という結論に達したとか
聞いてると、せっかく幸せを感じているところに水をさしたくない、もっ
と幸せになって欲しい、だからむやみやたらに反対もしたくないのです。
がんと戦っている他の方のブログ等をみると、本当に厳しく食事療法をし
ていたりします。
でもそうでない人もいます。
本人が一番納得して、ストレスを感じないことが一番なのかな、と思うわ
けです。

最近調子がいいパパの笑顔はやっぱり家族も笑顔にしてくれるし皆明るく
なります^^

もう日曜夜から入院し、明日からいよいよ治療です。
今日もお見舞いにいく予定だったのに仕事で行けず超悲しかったです
が、、念を送っています。
お友だちも来てくれて、パパの大好きな落語を4GB分もCDに
焼き、プレーヤーを買う御見舞金と一緒に頂いたそうです。
こんなに良くしてくれるパパは幸せ者ですね!
私も嬉しいです^^

明日から、新たなステージです。
心を一つに、頑張っていこう!

2010年2月10日水曜日

一生忘れない日

バタバタしててタイミング遅くなりましたが、、5日の夜に帰国し、6日が私の誕生日でした。



ここ数年、同じ時期に同じ出張に行ってます。一年で最もキツイ出張です。
去年は6日にドイツを出、日本に着いたら誕生日はすでに終っていたので、、今年は5日までに帰国!を目指しました(笑)




ずーっと、分刻みのスケジュールで移動も多く、さすがに疲れたー@@;
でもこれでやっっと一安心です。。


日本に着くや入っていた母メールでは、風邪とかひいていたら帰ってくるなと、、、
電話して、ひいてないけど帰っていいでしょうか、、と聞いたら、いいけどすぐにお風呂入って消毒、マスクね、と。
はーい(^^;)

それでもパパもママもおばあちゃんも、笑顔で迎えてくれました^^
そこへちょうど弟もきて、急にまた賑やかな家族 de 夕食タイムになりました。


でもパパの調子が良くなったのはついこの日から、それまで出張中、ずっと熱と吐き気が止まらず、大変だったそうです。。私に心配かけまいと弟は連絡しなかったそうです。そんなの後から聞くのも悲しいけど><



病院へ行き、あまりに不調を訴えるので、吐き気止めをもらったものの、MRIでもまた腫瘍ができているのが確認され、、12日から始まるはずだった治療がちょっとだけ延びてしまい、、元気でないとこの臨床試験は受けられないのだからあまり不調を訴えちゃだめ!と無茶な理屈でママが帰り道、泣きながら説き伏せたそうです。
複雑、、


いろんな面で、とても、というか変に、 、神経質になっているパパをみて、これも腫瘍のせいか、それとも辛くてヤケになっているのか、、わからないけど見てて辛い。
何にも考えないでいいんだよ、ほとんどのことは大したことじゃないんだから、とだけ言うしかない弟を見てるのも切なかったです。



そして翌日は私の誕生日。
5日の夜、寝ようと横になってるパパを囲んで弟が、誕生日やで〜と言って私がパパの手を握って握手〜ってしてたら、パパはまた、「パパ、また涙が出ちゃう〜〜」と笑いながら目を潤ませていました。


パパの前では泣かないと決めていた私も潤ッときてでも必死で隠してました。


良かった、良かった、本当に良かった、とずっと囁くように言っていました。




子供たちが順調に歳を重ねていくことを見守れるということがどれだけ幸せなことか、しみじみ感じているんだということがすごく伝わってきました。
自分の成長(といっても歳を重ねてるだけですが、、)を親に見せられる、ということも幸せなことです。
欧米ではクリスマスや誕生日など特別な日は、恋人も交えて家族で過ごしたりしますよね。
とてもいい習慣だと思います。






翌日、誕生日ですが、婚約者のTと共に初のブライダルフェア〜〜というものに行ってきました!




実は手術後、パパの病気が本当に深刻なものだと改めて思い知らされ、予定を早めて結婚式を挙げよう、ということになったのです。
たったの3ヶ月!
なのに一からスタートで繁忙期とも重なり、この出張前は精神的にキテしまい、、いっぱいいっぱいになって、Tに八つ当たりしてしまったりロクに眠れず、となって一瞬ボロボロでした。


Tはすぐに、余裕のない私に代わり会場探しや下見にあちこち奔走してくれました。すごく細かく、詳しく、できるだけ沢山の情報を私に持ちかえるために半日かけて一箇所を調べてくれたりして、頑張ってくれました。本当に助かるし、なにより気持ちが嬉しい。。(泣)
自分も仕事で忙しいのに、私は自分のことで精いっぱいで支えることも出来ないのに、Tはすごく私を支えてくれる。


とても反省、、


でも会場探しする時間がないのは事実。
ここは甘えて頼るしかありません。
感謝しつつ、仕事に集中して無事、出張を終えました。
2月末にもう一つ海外出張が入っていたのですがそれは部長の計らいでキャンセルしてもらいました。いい部長です。。



本番はこれからですが、一息ついたので気持ちは楽です。
あとはもう突っ走るしかない!


初フェアはとてもステキでした★
やっぱりウキウキしてきますね!なんだかやっと、実感が湧いてきました(笑)
本当に、いろいろとうちに合わせてくれようとしているTの気持ちが嬉しいです。
感謝でいっぱいです。
心から幸せを感じます!



夜は家でパパと過ごしたかったのでディナーはなしですが、めっちゃ豪華な料理を堪能し(笑)、可愛い洋服やカードをもらいました♪
そのカードには、とっっっても嬉しいメッセージが書かれていて、正念場であるこれからの一年、この人となら乗り切れると心底感じました。
涙が止まりませんでした。
今までで一番、もらって嬉しかったカードでした。




少し遅くなって家に戻り、いきなりケーキがでて来たので、ちょっとご飯を食べたいと、、
ささっとご飯食べて、ケーキでバースデーソングを皆で歌って、まちかねた、というようにパパがカーデガンに隠した水色の紙袋を「チラッ チラッ」と自分で言いながらチラ見せ。


これはとっても見覚えのある色ではないですか!

「じゃ〜〜ん」と言って渡されたのはやっぱりTiffany!
今まででちゃんとしたプレゼントらしきものをくれたことがなかった(記憶では、、)ので、びっくりしたけどそれよりびっくりしたのはなんと、パパが今日、あの風が異常に強くて寒すぎる中、なんとなんと電車乗って銀座まで行って買って来たというではないですか!
ずっと熱や吐き気があったので、いつもぐったりしていて家から出たがらず、見るからに無理だろうな、という状態であったにも関わらずです!

そういえば朝出かける前に、ママがお金くれて、好きなもの買っておいで、と言ってくれたものの、私が「パパが選んだものならなんでもいいのにな」とぼそっと言いました。(言ってしまったというか、、)

私が出掛けた後、それをママから聞いたパパがむくっと起きて、これは「いつまでも寝てるんじゃない、そのまま本当の病人になっちゃうぞ!」という神からのお告げだと、、そう受け取って、ママの支えを借りて一生懸命銀座へ向かったというではないですか、、


ばあちゃんは出かけるというパパを必死で止めたそうですが、パパはそれを振り切って出て行き、ばあちゃんは気が気じゃなかったと言います。
でも、ものすごく疲れたものの嬉しそうに帰ってきたパパを見て、娘というのはそれほど可愛いもんなんやねと(オイオイ)涙が出たそうです。

私も、涙をこらえるのに必死で喋れませんでした。


プレゼントは金のバタフライのネックレスでした。
パパが、いくつも見せられたけど、これしかないと思った、絶対これが好きだと思った、と強い口調で鼻息を荒くして断言。パパがそうやって私のために選んでくれた、そのことが何よりのプレゼントです。
もちろん、ネックレスもすごく可愛くてすぐに気にいりました♪


ママも、まさかこんなに早く一緒に買い物ができるなんて思ってなかった、楽しかった!
とすごく嬉しそうに言ってくれて、疲れたけど行ってよかった、親らしいことができて良かった、とパパも言ってくれ、暖かい家族に生まれて幸せだなぁとしみじみ感じてもう涙が溢れて止まりませんでした。
ママも笑顔で泣いてました。

これから毎年Tiffanyね!
来年はダイヤ入りだ〜〜と言ったらそれは厳しい〜〜とパパ。
皆で笑って楽しいひと時。

すごく幸せな時間でした。





今まで誕生日を家族と過ごすということがいつの間にかなくなっていたので何年ぶりか本当にわからないけれど、この日は家族で過ごせて本当に良かった!!(と言っても弟は肝心な時にいませんが)


一生忘れない日になるでしょう。


来年も、そのまた次の年も、末永く見守ってもらうために長生きしてもらわなくてはいけません。


夜、なかなか寝付けませんでしたが、お守りを握って、おばあちゃんに背中をさすってもらいながら眠りにつきました。

2010年1月28日木曜日

なんだか

考えること、やることがいっぱいで、物理的に時間もなく、、、


心が折れそうです。。。



明後日からは、1年でもっとも忙しい出張です。
準備が一向に進みません。

2010年1月27日水曜日

退院が延びました

予定では今日退院するはずでした。
退院といっても、治療が始まるまで少しあるので、その間帰りなさい、というものです。
外泊した時に鼻水が止まらなくなってずーっとティッシュを詰め、鼻たれ小僧や〜いと言ってたのは、じつは脳内の髄液が流れてきているとのこと。(ひぇ〜><)
逆流したり感染症を防ぐためにもしばらく安静にする必要があるそうです。
しかも常に頭30度に傾けた状態で。
右耳も、中耳炎がひどくなってきて、ほとんど聞こえないと言います。
退院は約1週間延びてしまいました。

元気なようでもこうやって身体のあちこちに不調が見られるのは、やはり心配ですね。。

でも最近はメールも打てるようになり、病院へ行けない時間や日は、マメに連絡とってます。
パパのメールに昔からついてくる署名は可愛くて、ここで絵文字が出ればいいけど、、出ないので言葉で書くと、、

キラキラ、リンゴ、"パパ"、ニコニコ顔、Vサイン、お風呂マーク、ビール、にっこり顔、ハート、zzz、流れ星。

朝日がキラキラ上って、フルーツで朝ごはん、頑張って会社行ってきまーすのVサイン、帰って、お風呂入ってビール一杯、家族団らんでリラックス、お休みなさい〜★

という一日の流れなわけですね(笑)
平凡で、同じことの繰り返しだけど、とても幸せな日々。

入院中は、血圧測りまーす、おやすみなさい、夫婦(家族)団らん、フルーツジュース、家族団らん、おやすみなさ〜い

治療通院の頃になると、病院行ってきまーす、帰って野菜ジュース、家族団らん、、、というものにすり替わるのですね。

元気でさえあれば、これもなかなか悪くない??
元気でさえいてくれて、ストレスフリーで楽しく幸せにさえいてくれれば、周りの皆も幸せです。
どうか、このまま何ごともなく、平穏な日々が続きますように。

2010年1月24日日曜日

感謝 感謝

いきなりの外泊だったので、もぬけの空になった後に病院にお見舞いに来
てくれた方も何人かいたようで、、

申し訳なかったですね(汗)

本当に、いろんな方々に心配いただいて、手術前も中も後も付き添って下
さったり、遠くからはるばるきて下さったり、お見舞い品やお見舞い金も
あちこちから頂いていて、本当に、心強いし、何かとお金がかかるので助
かります。

私も、このブログを見て心配してくれた友達から激励メールをいっぱいい
ただいてます。
皆、本当にありがとう。この場を借りてお礼させてください!
ちゃんと返事できてなくごめんなさい、、(泣)


特に弟嫁の家族には親戚一同でお世話になっていて、精神的にまいりそう
だったママに疲れを癒してと入浴剤や激励の手紙を頂いたり、病院の食事
は飽きるからと差し入れをくださったり、ご両親がそれぞれ来てはご飯を
食べさせてくれてたり、腰をマッサージしてくれたり、、。

家族が増えるってこんなにも心強くて、幸せなことなんだなぁとしみじみ
感じます。

今夜、また病院へ戻ります。


実は臨床試験に参加することになったので、治療開始が2週間遅
れ、その間は家でただ待つしかないというなんともじれったい状態、、。


とにかく免疫を高めることが何より大事とあらゆる本に書いてあるので、
野菜・フルーツをたっぷりとって食事に気をつけなきゃです。


一日2リットル分の野菜・フルーツを、半分はジュースに、半分は
生で食べることがとにかくいいらしいので、これからは大量に必要という
ことに、、@@

しかもミキサーではなくジューサーが良いとのこと。
ミキサーとジューサーって違うのか、、


牛乳はあまり良くないけど、ヨーグルトはとにかくいいそうです。

家事のプロ(片付け以外)のおばあちゃんが居てくれるので超
助かってる><!!

とにかく治療前の今が大事です!!


そんな時に残業、出張で私ぜんぜん役に立てず、、住民票変更や定期買い
替え、免許、パスポートも更新しないといけないのでなんとも煩雑でかな
りブルーです><


でもパパが一番頑張ってるので私が音をあげちゃいけません。

頑張ります。

外泊です!

木曜日   今後の治療方針の話。
金曜日   抜糸!! 歩行器なしで歩いた!
土曜日   とうとう今日、一日外泊で 家に帰ってきました!

私は残念ながら夕方まで用事があったので病院出るときは付き添えませんでしたが、
家に帰ってみると、いつもの定位置にちょこんと座り、ママ、弟夫婦、伯父夫婦、おばあちゃんという、狭い部屋なのに大所帯に囲まれて、ニコニコしていました^^
頭は相変わらず伸びるガーゼのようなものをかぶっているし(smarfみたい!)、眼鏡もつけていないからいつもの様子ではないものの、それでもパパが戻ってきたのは本当に嬉しいです。
ご飯も、ずーっとおもゆだったのに、いきなり普通のご飯、しかもばあちゃんの豪勢な料理が次から次へと出てくるのを、少しずつだけどちゃんと食べています。
すごいじゃん! (ばあちゃんも!)
喋りはゆーっくりだし、普通にみんなが話してる会話にはついてはいけないけど、食べると元気の出方が違うと言って感動していました。
頭の傷口を初めてみました!
耳の上のあたり、紙の毛は刈られ、扇状というか、、半円形?の傷跡になっていて、けっこうすごい光景でした、、、。
本人が見たいというのでデジカメで撮影、TV画面で試写会、、
すごい光景でした^^;
先生はもう傷口を下にして寝ても大丈夫というのですがさすがにまだ痛いし、そういう気にはなれないと、、
そうだよね><

お風呂も久しぶり!気持ち良さそうでこっちも嬉しい!
歩けるとは言え、ご飯も食べれるとはいえ、うちは家族そろって心配性、トイレもお風呂も何するのにも、みんなで寄ってたかって囲んで支えてついていきます。
一見、おかしいかもね、、
病院でも私たち毎日いるし、なんでもやってあげるからいたれりつくせりだし、面会時間過ぎて隣のおじいちゃんやナースにさりげなく毎回文句言われても遅くまでいっつもいて、実は名物患者になってるんじゃないかと思います^^\

でもできることはなんでもやってあげたい。
もう絶対、さみしい思いなんてさせない。

早くケタケタ笑う顔がみたいな。
ともかく傷口が早く良くなって、痛くなくなりますように。。

2010年1月21日木曜日

治療法

昨日は一日熱があり、私が着いたときはしんどそうに歯を磨いていまし
た。
熱を測ったら38.5度も!
普通の人でもかなり辛い。
さすがにぐったりしていました。
調子が良い日と悪い日が交互にきているように感じます。
ー 一昨日の夜。ー
3時頃まであれこれ調べていて、やっぱり先日東大病院の権威にすがるよ
うにメールで問い合わせた療法が、まだ新しすぎて有効性は保障されてい
ないもののそれでも一筋の光が見えるような気がしてなりません。
臨床試験の申し込みフォームを発見、これは、、と思ったものの、パパの
了承も得ず、主治医にも相談しないでいきなりこれは送ったらややこしい
ことになるかな、と躊躇してしまいました。
メールの返事はきておらず、そりゃそうだよね、、大先生は忙しいよ
ね、、
それなら明日、直接電話して問い合わせるしかない。
連絡先を控えて寝ようとしたら、gnoteで情報を共有している弟か
ら電話が。
弟は、このウィルス療法についての記事を何回も読んで、これは希望が持
てるんじゃないか、と大興奮でした。
私も、やっぱりそうだよね?!と心強くなりました。
翌々日の木曜日には今後の治療法についての話があります。そしたらすぐ
に放射線治療が始まってしまうでしょう。
もちろんすぐにでも治療は進めたいですが、いわゆる平均余命1年
とここ何十年進歩のない標準治療だけというのは納得がいかない。
どんな治療法がベストなのか、自分達に知識がなければいろいろ質問もで
きないし、言われるがままでは不安が大きいです。
もちろんこの病気専門の、権威ある先生なのだから、私たちが何をどれだ
け調べようと結局はお任せすることにはなるのですが、それでも知識は必
要です。

ー 昨日の朝。ー
スタンバって、9時頃東大病院に電話してみました。
担当者がまだきてないから10時にまたかけなおして、と!
なんだか息巻いていたのでがっかり、でも急いで準備しないと今度は会社
に遅れちゃう!
お昼にまたかけよう。
そうしたらお昼、弟から電話がありました。
実は朝6時までかかって、ウィルス療法の臨床試験に申し込んでく
れたようです。それを見て東大病院から直接電話があったとか!
内容は、今のパパは再発したわけじゃないし放射線治療もまだなので、対
象にはならないだろうということ、、そして今かかっているがんセンター
の先生は、以前東大病院で一緒にやっていたことがある、よっぽど経験豊
富だから任せて問題ないと思う、ということでした。
他にも、良くも悪くもいろいろ話してくれて、その後弟へメールもしてく
れて、とっても真剣に親身になって対応してくれて、なんだかとっても心
強く感じました。
しかし、、
その直後に私が担当医に電話して、パパなしで最初はあれこれ質問させて
いただきたいとお願いしたら、患者と家族と別々に話すようなことはしな
い、患者さんにも包み隠さず話すのが病院の方針です、とはっきり言われ
ました。。
ちょっとたじろいでしまいました。
パパがが心配です、、、。
でもがんセンターはその名の通り癌の患者さんばかり。それが方針だと言
うなら、結局はそれが最も良い方法だからなのでしょう。。
私達が気になっているウィルス療法についてもよくご存知で(当た
り前ですが、、)、先生は、それよりもアバスチンを検討してい
る、と。

アバスチン!
一緒にいろいろ調べてくれている彼氏さんが、主に海外のサイトや文献を
見てくれているのですが、そういえばアバスチンが気になると言っていま
した。
療法ばっかりで薬についてはあまり調べていなかったので(という
より時間が足りず、、)、明日話を聞くまでに調べなきゃ!!
今日は、一人で気が狂いそう!と心配の塊になっていたばあちゃんが来て
いました。お迎えは彼氏さんに頼みました。
が、香水やタンスの匂いが頭にキツイと、部屋から追い出されて廊下にポ
ツンと座ってました。。
さすが親娘ですね。
ママはやっぱり安心して、少し元気になってました。
ここんところ毎日通ってるんじゃないかという藪そばにまた食べにいきま
した。
パパがあんなに質素な食事を頑張ってもほとんど食べれないというのに、
ガツガツご飯を食べる気にはなりません。
だからここのおそばくらいがちょうどいいのです。でも今日は漬丼にして
みました。
やはり食欲はそそりませんでした。。
家に帰ると10時半ごろ。
アバスチンについて調べましたがどうも、薬はいろいろでてくるし難しい
です(泣)
とにかくまだその有効性はハッキリとは証明されていないようですが、テ
モダールがでた時に続く、期待されている薬のようです。

これはもう、明日先生に詳しく聞くしかありません。
ネットで見つけた良さそうな薬名や併用例をメモリ、明日に備えることに
しました。

2010年1月19日火曜日

一歩、また一歩

仕事中、ママがメールで、パパが立って歩いているところの写真を送ってくれました。
嬉しかったー!(TT)



会社の定時が7時だったので、7時すぎに急いで会社を出ました。



口が開けないパパのためにいくつか大きさの違う歯ブラシを買ってはいたのですが、それでもまだ大きすぎたようで、子供用の歯ブラシを買いに走ってドラッグストアへ行きました。



7時半には病院へ着いているはずが、、
うーん、やはり微妙な時間帯、、難しい。



走れるところは走って、8時すぎに着いたら、ちょうど歯を磨くところ! 
ちょうどよかった、と思ったら、私を待っていたのだそうです^^\



GUMと乳歯用のそれはそれはちっちゃい歯ブラシ。
乳歯用は、さすがにブラシの面積が小さすぎて手をいっぱい動かさないといけないから疲れると、、
役にたてなくて残念(TT)



それよりも、、ベッドにしゃんと座って、体についていたチューブも全部取れて、腰を必死にストレッチしようとしてたり、なんだかとっても前進している!!すごい嬉しかった〜〜〜!


相変わらず目はなんだか焦点が合ってない感じだけど、喋りも少しははっきりしてきたし、日一日とよくなってるパパをみるのは本当に嬉しいです。



そうだよね、普通に風邪ひいて高熱出して1週間くらい寝込んだりしても、だんだん、生まれた時からこうなんじゃないかって思ってくるくらいしんどくて辛くてなかなか動けないもんね。


ましてや手術なんてした後だし、そんなすぐにけろっとしているわけがない。
焦らずゆっくり回復していかなくちゃ。



今日は30分しか居られなかったけど、パパが回復してる姿を見られたのでとっても気持ちが楽です。





10時に帰りついてからはいつものように調べものです。



今日は、東京大学医学部付属病院の特任教授が、なかなか発達が見られない膠芽腫の治療に画期的な、ウィルス療法という治療法を研究中で、昨年8月に臨床試験を開始したという情報を頼りに、
この教授様に直接メールで問い合わせてみました!

http://www.h.u-tokyo.ac.jp/upload/r20090810173512.pdf



返事くるかな、、なんて言われるかな、すごくドキドキです><



でもこうやって、一歩一歩前進あるのみです。
パパも一歩一歩頑張ってるんです。






少しでも多くの情報がほしいです。

もし医療関係者が知り合いにいるとか、何か情報をおもちの方、ぜひご連絡いただければと思います。
少しでも多くの方に知って頂けるなら、光も見えてくるかもしれません。

何卒よろしくお願いします。

2010年1月18日月曜日

お年ごろ。

今日は、朝病院寄って会社に行くつもりだったのに、、
あまりに朝弱い私は起きれなくて、結局仕事後も行ける時間あるかどうか
という微妙な時間になってしまいました。。
実は、ママを一人にはしたくないので、一緒に住んでいる婚約者T
の良き理解もあり、実家に戻ることにしました。
会社まで20分だったのが1時間に、病院まで15分だっ
たのが40分に、と遠くなってしまい、朝もめっっぽう弱い、これか
ら仕事が繁忙期で残業も増える、という時期に一末の不安を覚えておりま
す。。
歩くことが増えたから運動にはなるかな。。

あぁ、パパの顔見てから会社行きたかった( ; ; )

11月に旦那さんを亡くした福岡のおばあちゃんも、心配で一人でいても
たってもいられないとこっちに来たがってるんだけど、ママが気が散漫し
て忙しくなってキャパオーバーになるんじゃないかってことをパパはすご
く心配してる。
パパに専念してほしいんだろうな。
退院後、家に帰ってきたときに家族が増えてるのは賑やかでいいんじゃな
いかとも思うんだけどね。
私は仕事がちこっと忙しくなるからママの手伝いもろくにできないし
なぁ。寂しくないように一緒に居てあげることしかできない、、
入院中は私は麻布十番に残ってマメに病院行けるようにしたほうがいい
か、ママの側に居たほうがいいか、、
Tがともかく理解あるので、その辺は自由に選ばせてくれるので助かって
ます。
自分がある程度の年齢になると、親が歳とったとき、病気になったとき、
という状況は必ずくるけど、状況的に親にかかりきりになれないのは、辛
いですね。。

術後3〜4日目

術後3日目

今日は一般病棟へ移動の日です。


昨夜はちゃんと寝れたかな、もっと元気になってるだろうな、
と思いながら、11時に17階へ来てくださいと言われた通り行ってみると、

手術前と同じ部屋にパパが居ました。

ベッドを半分起こし、座ったまま何もない壁をぼーっと見ていて、
周りには看護婦さんも誰も居ず、一瞬見てすごく切ない気持ちになってしまいました、、
すぐにかけより、声をかけると、ゆっくり、ぼそっと、今移動してきた、と。
なんだか予想に反して全く元気がありません。
視線もまっすぐ前を向いたままです。

ベッドを倒し、まくらを微調整して、横になったものの
頭が痛い、寒い、熱い、の繰り返しです。

この日は文字通りつきっきりで看病です。
ママは何かしたくてたまらないのですが、パパが頭に触れそうで怖いとか、
それはしないでいいとか、痛いからやめてとか、、何をやっても
却下されるので(まぁ、これはいつものことなんだけど、、笑)私と弟が
横であれこれしてあげて、ママは一番遠いところでポツンと座って、
心配そうにこちらを見ていました。

この日は始終、パパに元気がなく、一人じゃできない、と
ぼそっと、悔しそうに言う姿とか見るとたまらない気持になります。

私たちがタオルケットや毛布や枕の微調整を必死にやっていると、
ときおり、ありがとうね、と目をつぶったまま言ってくれました。
そりゃ当り前でしょ〜、どんどん甘えなね!と言うものの、
それ以外にかける言葉が見つからず、私たちがじとっと傍で
ひたすらパパのこと見てるだけなのが余計元気なくしてたらどうしよう、
とか、すごく心配になりました。。

友達に、がん細胞を死滅させるために、「笑うこと、笑うこと、笑うこと!」
と聞いていたのに、私たちはどうも余裕が持てず、ユーモアに欠けるようです、、
こんな時は、やっぱり友達とかが勇気づけて笑わせてくれたらな、と思います。

私が一人で看病している間、パパが何度か短く眠りました。
一度、寝ているパパの顔を見ていると、唇がきゅっとへの字になり、歯を食いしばるような形になって、閉じた目にうっすらと涙がにじんできました。

悔しそうな、悲しそうな顔でした。
思わず手を握ると、表情は元に戻り、またすやすやと寝ていました。

私はパパの気持ちを思うと、涙を抑えるのに必死でした。

こんな状態で帰りたくはなかったけど、消灯時間にゆっくり寝れそうだったので
8時ごろ帰りました。

今夜は弟夫婦がママと一緒に寝てくれます。
本当に有難いことです。






術後4日目


4日目の今日、私と弟で広島へ行きました。朝早くに出発したので全く寝ずに。。

寝てないから、その間パパはちゃんと寝れてるかな、一人でさみしくないかな、
と心配で心配でたまりません。本当は会いたくてたまらないけど、今日はやることがあります。


広島はパパの故郷です。パパのご先祖様が眠っているお墓があります。
うちは何かというとご先祖様頼み。
私自身はなかなか腰が重くて家族で行く時くらいしか行かないのですが、
今回は弟が行こうと言うので二つ返事で一緒に出かけました。
日帰りです。
行きの新幹線では4時間ひたすら爆睡、11時に着いて、
軽くお昼を食べながら、2人でご先祖様へお願いのお手紙を書きました。
弟のお嫁さんに電話で、今日は昨日よりだいぶよく、朝なんて看護婦さんと
部屋のあるフロアを一周したとか!
それを聞いて本当に嬉しくて、急に食欲が出た!と、弟は私の食べ残しのカスのような
パスタをがっついてました。
本当に単純で純粋で、ビビリで小心者だけど本当に心の優しい子に育ったなぁと
最近常に感動しっぱなしです。
本当によく気遣ってくれるお嫁さんももらって、本当にいい夫婦です。
姉としては心底幸せです。


気が付いたらそこで2時間も経過。
帰りの新幹線は午後4時半発です。
2人とも、気は焦るんだけども動きはのんびりなので、
あぁぁ と言いながらお花や道具を買いに急ぎました。
道を何度も間違えながらもなんとか道具をそろえ、
1時間後にやっとお墓に到着。
快晴の上、山の上なのでかなり見晴らしがよく、空気もすがすがしくて
気持ちがいいです。
まるで私たちの心配は取り越し苦労だよ、とでも言われているかのようです。
コートを脱いで、さらに1時間かけて、いろいろお互いの話や昔話をしたり、
ここに眠るパパのママ(うちらのおばあちゃん)が
どれだけ優しい人だったんだろうと想像してみたりしながら
必死に掃除しました。
今日やりたいことは全部できた、一緒に来てくれて本当にありがとうと、
弟から何度も言われ、こっちこそ誘ってくれたことに感謝、感謝と言いながら、
案の定ギリギリになって走って帰りの新幹線へ乗り込みました。

今日の報告で弟がママ、パパに向けて書いたメールです。 

「パパが昨日より元気になったと聞いて2人で大喜びしています。
お墓はこれでもかというほど雑草などの掃除をして、床や周囲の枠までピカピカに
磨いて豪華な花を添え線香とロウソクを灯し、2人で書いたパパの全快を
願うご先祖様への懇願の手紙を置いて、人生2度目の土下座をし、手を合わせ
長い長い時間お祈りしました。
きっとこの気持ちが届くと思います。」

パパは、ママから私たちが今日広島へ行っていると聞いてびっくりして、
大きな目に涙を浮かべながら、しばらくの間手を合わせて有難い、
と拝んでいたそうです。

それを聞いて私たちも泣けてきました。

神様、仏様、どうか大好きなパパをお助けください。
パパのために私たちも一生懸命頑張ります!

2010年1月17日日曜日

術後〜2日目

14日、手術の日
家族や親戚、パパのお友だち全部で9人で千羽鶴を折りながら一日
中手術が終わるのを待って、パパに会えたのは朝見送ってから13時
間後の夜9時半でした。
流石に疲れた様子の先生たちから聞いたのは、病魔の進行は本当に早く
て、あと1週間遅ければ間に合わなかったかもしれない、本当に難しい状態で、ひとまず80%以上の腫瘍は取りましたとのことで、頑張ってくれたパパと先生たちに感謝の気持ちでいっぱいとともに、恐ろしい病気に震えが止まりませんでした。
ICUなのにマスクも白衣も着ないでそのままの状態でパパに会いに行く
と、頭にネットを被り、麻酔から覚め、突然の苦痛と吐き気に襲われても
のすごく苦しそうなパパがいました。

パパのそんな姿をみるのは本当に辛くてショックで、でも生きていてくれ
ることに感謝しつつ、泣きながら皆で手を握り励ましていました。
私と弟は、ボロボロに泣いて震えているママを支えながら実家へと帰り、
今も頑張っているパパを心の中で必死に励ましながら、疲れからかいつの
まにか寝ていました。
術後2日目
まだ集中治療室で、術後24時間たっていません。
術後直後は寒い寒いと言ってたけど、今日は昨日ほどではないようです。
性格変わることがあるとか、一時的にひょうきんになってびっくりすることが
あるって散々先生に脅かされていたけど、もともとひょうきんなこと言う性格なので
変わってもわかるかなぁと心配してました。。
涼くんなんて、俺のことわかる?!
なんて、直球で聞いてるし。
喉にずっとパイプが入っていたらしく、喉がガラガラで
喋るのはキツくても、変わらぬパパのまま、わかるよ〜と笑いながら言ってくれて
それだけなんだけど、なんか泣けました。

パパは右側を切開したので、常に左を下にして横向きに寝てます。頭はも
ちろん、腰も痛いと辛そう。。吐き気もあるし熱もありました。私達はオロオロしながらもパパの言うことに必死に耳を傾け、都度調整をしてあげました。
私たちにできることはこれぐらいしかありません。。

MRIとCTとった結果では、出血も痙攣もなく、術後の経過は合格点
とのこと。ただし恐ろしい病気であることに違いはありません。

今日も何人かがお見舞いにきてくれました。皆心底心配してくれて、有難
いことです。
入院と同時にお見舞いに来てくれて、手術中もずっと一緒に待ってくれた
大学のお友達と話すと、少し気が紛れるようで、家族だけではどうしても
オロオロしてしまったりじとっと傍にいるしかないので、気を紛らわせて
くれるのは本当にありがたいなぁと思いました。

もっと、お友達とかいっぱい来てほしいなぁ。
今夜はぐっすり寝て、明日はもっと元気になってると思ったら
早く会いたくてたまりませんが、それを楽しみに今夜は早めに寝ました。

2010年1月16日土曜日

やっと寝れた

今17階の部屋でパパと二人。
パパが寝そうだったからママと涼くんは8階の待合い室で仮眠とり
に行きました。
パパはやっと寝れたようで、何度かはふっと目を開けるんだけど、ちゃん
とすやすや寝息たてて寝てます^^
今日は頑張って少し歩いたし、頭痛いのは可哀想だけど、術後の経過とし
てはいいから、ちょっと苦しそうだけどひとまずは安心、安心。
こんな風にパパの顔ずーっと見てることってなかったねぇ。
パパが寝てても冗談言ってても、当たり前のようにして過ごしていたよ。
パパのこと、ママに任せっきりにして、こんな風にパパの身の回りの世話
したり気遣ってあげたことってなかったねぇ、、
私には、パパがこんな風に、いつでもどんな時も私のこと想ってくれて気
遣ってくれてたっていう実感がすごくあるってことにも改めて気づいた
よ。
友達に羨まれるくらい仲が良くていつも一緒にいる両親で、優しくて器広
くていつも思慮深くて落ち着きのある、でもひょうきんなことばっかり
言っていつも場を和やかにしてくれるパパの、愛情たっぷり受けて育って
きたってこと、本当に実感してるよ。
武器用だけど愛情豊かで、優しさの塊のママと涼くん見ても、皆たっぷり
の愛情受けてきたってことが本当によくわかる。

だけどうちら皆ワガママばかり言ってきてパパにひたすら甘えてきたね。
みーんなして、パパに(あたしと涼くんはママにも)おんぶに
抱っこで、パパって本当にすごい存在だなぁって、しみじみ、尊敬!
こんなになるまで一人で頑張ってきて、こんな形でしか恩返しできなかっ
たのかって、自分がすごく悔しいけど、でもこうして家族で四六時中いっ
しょに居てパパの役にたてるってこと、勝手ながら幸せに思ってるよ。
今は、術後で常に痛くて一人じゃ時間もわからない、枕の調節もできな
い、水も飲めないってこととか悔しいんだろうと思うけど、私たちが喜ん
で手伝うから思いっきり甘えてね^^

2010年1月14日木曜日

脳腫瘍との闘い

今、パパの手術中です。
クリスマス直後、悪性脳腫瘍が見つかってからというもの、医者、病院探しに奔走、年末年始の休みを経て、4日には国立がんセンターで最初のコンタクト、先生に薦められ、9・10日には家族水いらずでウン十年振りの家族旅行へ温泉へ、12日には入院、今日14日には手術。。
わずか1ヶ月の間に家族の毎日は激変しました。
パパは最初、検査結果を聞いてから、手がどうしても震えると言ってました。。
精密検査の結果は10万人に6、7人しかならないというもの。

なんで、ものすごく優しくてお人好しで、周りを明るくしてくれるあんなにいいパパがこんな病気にならないといけないの?
なんで、自らは欲を持たず、家族のために一生懸命頑張って生きてきた真
面目なパパにこんな試練を与えるの?
ママは毎日泣きはらしてまぶたがすっかり腫れ上がり、顔中が涙でぐちょ
ぐちょになるので化粧水とか痛くて何もつけられなくなってしまいました。
家族皆で、願い事を書いた紙をいっぱい用意して、必ず治るって強く念じました。

今朝8:40に送り出して、9時半に手術が開始されてから、もう10時間近くかかってす。
ずっと千羽鶴折ってたけど、さすがに待ってる皆にも疲労が漂います。

こんな長時間、、医者って凄いね。
パパ頑張ってて偉いよ。
パパも先生たちも、本当に頑張ってほしい。
すぐ側で、家族、親戚皆で必死にお祈りしてるからね。
パパもうちょっとだからね、頑張れ!!