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2011年4月27日水曜日

顔面が


たんこぶのような水ぶくれから始まったパパの頭痛は、早二日でこんなにもふくれあがってしまいました。。
もはやすっきりしてけっこうイケメンだった(と思ってる)パパの面影は、ありません。

先週末から痛みを訴えていて、日曜日にじんましんのようなものがおでこにでき始め、てっきり点滝の副作用かと思っていたら月曜日の病院でなんと帯状疱疹だと言われ、薬はもらったもののみるみる激しく腫れてきてしまったのです。

普通にしていても頑張っても右目は開きません><
おでこも鼻も、いつもより一回り大きくなってる。。
ママにメールもらってかなりびっくりして、すぐ電話してパパにかわってもらったら思いのほか元気そうな(といっても、、ですが)声を聞いて、思わずほっとして涙でちゃいましたよ。。
こんな状態でも笑って話してくれて、本当にすごいと思った。

髪の毛触れるだけでも悲鳴をあげてたのは、これほどの勢いで頭が腫れてきてたからなんだ、、

パパは以前も帯状疱疹になったことがあって、調べたら1回はなっても2回かかる人は5%以下だって!
でもどうやら、やはりというか、抗がん剤などで免疫が急激に下がると突然かかったり、経験済みでもまたなる事もあるそうです。
神経痛で、その痛みは相当なものだって、、、経験者は苦い顔して必ず言いますよね。


本当に大変な病気と闘っているんだな。。
私ならとっくに気がふれているかもしれない。
がん細胞ってのは、本当に本当にやっかいだ。


明日は1年半私のアシスタントとしてくれたAさんの最終日。
すごく悲しくて、寂しくて、夜は仕事上関係のあった女子で感謝の宴をわいわい過ごそうと楽しみにしてました。

でもパパの2回目の点滴の日でもある。
こんな状態で、点滴自体も続行できるかどうか不安です。
昼間抜け出して病院行かせてもらおう。。


2011年4月24日日曜日

頭痛

パパの頭痛が治まらない。
左側は平気と昨日まで言ってたのに今日は頭全体が、触るだけで悲鳴をあげるほど、、
医者はバファリンでいいと言うけれど絶対気休めだ。

これが実際のアバスチンの副作用なんだなって思うけど、なおさら、治験中は本当に食塩水だったんだって知らしめられているようで悔しい。

何もしてあげられないのがもどかしい、、


ママ、59歳の誕生日!

今日4月23日はママの59歳の誕生日でした!
パチパチパチ。。!


弟嫁が舞浜のヒルトンでランチを予約してくれて、弟夫婦と私と両親のいつもの5人で中華のブッフェへ。(本当は別のレストランへ行くはずが、ホテルは営業していてもしまっているお店が多く、、)
お花くれたり写真撮ってくれたりケーキまで手配してくれて、さんざんおしゃべりして、最初はきつそうだったパパもどんどん笑顔が増えて、楽しい時間を過ごせました☆

ホテル内で結婚式の聖歌が流れてきた時、私たちの結婚式ではほんとにほっとしたと、、思い出すと泣けてくると言って涙ぐんでいたのを見て、去年バタバタなまま始まって終わっていたので、そんな風に思ってたんだなって、私も思わず涙ぐんじゃいました。。

最近のパパは、一見見た感じは元気そうなのだけど、腫瘍はMRI撮る度に広がってしまっているし、暑い、寒いなどの五感もまた敏感になってきていたり、足があがらずお風呂に一人で入るのが困難になってきたりとパパの状態も急激に悪化してきていて、かなり心配な状態ではあるんだ。。

今まで頭の痛みは、放射線終わってからはあまり言わなくなっていたんだけど、つい数日前からは痛みを訴えだすようになり、、
脳天を突き刺すような、ぴきーっとした痛みが走ると言い出しました。手術をした側の、おでこですら皮膚を触っても痛く、今日なんて、みるみるタンコブのようなじんましんの固まりのようなものも浮かんできました。


まるで、手術後ひどかった1年前を彷彿とさせ、一昨日、昨日とママがメールで不安を訴えてきていたので心配でした。
きっと、、抗がん剤の副作用なんだと思います、、
なんとかしてあげたくてもできないもどかしさを抱えながら、とにかく不快にならない程度に気を紛らわせていたわってあげようと努めてます。
やはり笑っている間は忘れていられますもんね!

でも今月はなんと、そんな状態でもかなり行動したんです!!これが、実に結構な活動。


4/3の私の結納一周年記念日には、去年は来れなかったパパのリベンジを果たすべく、ママの誕生日を兼ねてとうふ屋うかいでお祝いしました。そこにTのご家族もJoinしてくれて、立派な結納リベンジが果たせました!お花屋さんに花束を届けてもらって、皆にお祝いしてもらえて本当に良かった^^
(私は去年と同じワンピースを来て、去年と同じ角度での写真を撮りました!パパが居なかった去年の写真と並べると、感慨深いものがあるね。。)

すぐ後の8日には、ママとパパが二人で念願の香港、それも憧れのPenninsulaへ!
全く欲のないパパが、出張で4回も行ったにも関わらず飲茶も食べてないし観光も一切できなかったからちょっと未練があるな、飲茶食べたいな、と言ったのを聞いてからはママが、
「何が何でも連れて行く!」
と即効手配。(ママの得意分野 ^^)

実際は一日の半分は寝ているような状態だったそうで、ママは置いて出かける気にもなれずじとっと部屋にいたそうだけど、それでもご飯はたくさん、二人で美味しく食べて、一度渡れば3年寿命が延びるという長寿橋を2回も渡り、途中からは車いす状態になりながらも無事に帰ってきてくれました。

帰ってきてすぐ、14日、やっと許可がおりたアバスチン(実際は香港行く直前におりたので、タイミングが悪く後回しに、、)の点滴!
治験の時と同じように、初回は90分の点滴です。
今度は間違いなくアバスチンが入っている。受けている時の感覚は特に前と変わらなかったそうだけど、私たちはこれにすごく期待している!!

そしてなんと、パパの会社の部長さんが家まで来てくださって、やっぱり仕事がしたいんだというパパに真剣に、かつユーモアも交えながら対応してくれて、なんと28日からリハビリ出社することになったのです!!
しかも、ママの席まで用意してくれると!! 
ママは、それには戸惑っちゃったみたいだけど(笑)初日は、とりあえず10時から11時の1時間だけとなりました。
なんて素敵な部長、、しかも起き上がれずに布団に横になったままのパパと話しながらそのうち部長まで横になって話し続けていたというから、なんて微笑ましい光景だろうと感動さえ覚えましたよ。
ほんとに良き上司に恵まれて良かった!!感謝感謝です。


そしてそして、今日は誕生日当日なので、改めてお祝いランチ、帰ってからもいっぱいおしゃべりして、一日のほとんどを寝るようになっていたパパが、珍しくほとんど起きていて今日は元気だねぇ!とママがびっくりしたほどでした。
やっぱり私や弟がいたり、いつもと違う刺激を受けるのが良いのだねと。もっともっと連れ出さなきゃ!
仕事復帰が決まった事でも元気が出たんでしょうね。


一年前の写真と比べると、身体も喋りも髪の毛も、本当に良くなりました。
前は髪の毛が抜け、あばら骨が飛び出て、ひどい真っ赤なじんましんのようなものが身体中を覆い、頭には黄色い粘着質のものがこびりついて常に痛み、かゆみを訴えていました。
口の中は腫れ、食べ物も少しの刺激もダメでほとんど食べれず激やせしてしまって精神的にもかなりやられていました。
今までに飲んできたテモダールの薬の袋を全部じゃないとはいえすごいたくさんとってあって、今までこんなに飲んできたんだねぇ、ほんとによく頑張ってきたねぇ、とパパの気持ちを思うと感動せずにはいられません。


その頃から比べると、今の状態はどんなに幸せなことか。。
性格や喋りに変化は見られるものの、大事なパパであることは変わりありません。

今回、大震災で、本当に突然命を奪われた方々やその家族がたくさんいることを思うと、、愛しい家族の時間をこれまで以上にたくさん過ごせていることにむしろ感謝すべきですね。


来年のママの60歳の誕生日もお祝いしよう!というパパの言葉を聞いて涙ぐんでしまうママ。
医者には、あと1、2ヶ月かもしれないと言われてしまったのだもんね、、
今の状態で、香港行けたことが奇跡なんですと、、



これを書いているのは夜中。(というか書いていると夜中になってしまう、、)

ママが寝る時、すでに寝息をたてているパパを心配そうにしばらく覗き込んで、寄り添うようにして眠りについているのを見て、本当に本当に二人を助けてほしい、と改めて神様に祈りました。。
パパは本当に誰よりも頑張っています。パパの頑張りを無駄にしないで下さい。お願いします。


*そうそう、ランチの後、弟夫婦はせっかく近いのでとあの嵐のような強風、雨の中、ディズニーランドへ。友達から聞いてはいたけど、本当に激空きで、ほとんどのアトラクションが0〜5分で乗れたそう!!
これで晴れていればこんなに楽しいディズニーはないとまで。
パパはどうしても乗り気じゃないみたいで、もったいないけど。。。

そうだ、GW中の私とTの結婚記念日にはディズニーに行こうかな^^


2011年4月23日土曜日

大きくなった腫瘍、そして史上最悪のトリプル災害

なんと前回のブログから4ヵ月も経ってしまいました。。

その間、パパの誕生日もあったし、年末年始もあったし、、いろいろありました。
忙しさに追われ、疲れていると余計疲れるという悪循環も発生、ブログアップする気力すらなく。。
あげく、つい1ヶ月前には世界でもまれに見る最悪な東日本大震災が、、。

下記、途中まで書いていたもののずっとドラフト状態だったものを、時間軸はおかしいですがとりあえずアップしました。

↓↓↓

その時私は東京のオフィスにいました。
ざわめきが起こり、びっくりして外へ皆避難しました。

今までに経験したことのない大きな地震。2回も外に避難したし、
結構長いこと外にいましたが、中に戻るとそれほどの被害はありません。
部長の小さな本棚が倒れていたくらい。
その時はまだ、あんなに大きな震災だったなんて思いもしなかったな、、
あちこちで被害が大きくなって、いろんな情報が入ってくるにつれ、不安は少しずつ大きく、、。

携帯や電話が混雑して繋がらなくなった中、Tがすぐにtwitterで連絡をくれ、
その後交通手段が全部断たれてる、迎えに行くから動かないで待ってて!と。
歩きやすい靴と上着、手袋を持って、チャリで迎えにきてくれました。
そして二人で歩いて帰りました。
車で旦那さんが迎えにきた子は、道路が混んでたのでなんと会社に着いたのが夜の9時とかだったそう。
3、4時間歩いて帰った方が多い中非常に恐縮ですが、3、40分で地元に着きました。まだまだ元気です。
このときもまだ、ニュースで津波の映像すら見ていませんでした。
ご飯を食べに入ったお店でついてたTVを見て唖然。。
まるで911をTVで見たときのような、映画を見ているかのような実感のなさ。
リアルだとは思えない光景でしたね。。

その夜はさすがに、非常袋を玄関に用意して、玄関のドアは開け、外に出れる格好でロングダウンを着込んで、TVの前で床に転がって寝たのでほとんど寝れなかったです。。
ガスも止まってたのでシャワーも浴びれずだし。(これは翌日、facebookを見ていたら同じような人がいて、振動を感知して自動で止まったものだったということがわかり、無事に開栓できました。。)



1週間が経った東京では、すでに大分落ち着いていたと思います。
計画停電にも余震にも備えつつ、さすが秩序のある日本人というか、すでに元の生活に皆戻りつつありました。
原発には世界が恐怖におののいてますが、日本はあくまで冷静に、そして必死に対処しています。情報開示が遅いと非難もされましたが、アメリカや特にイギリスの報道のように騒ぎ立てて下手に恐怖をあおってパニックを引き起こしてはいけないと、必死に冷静を保ちつつ対処していこうとしていたのは、なんとも日本人らしい部分です。
買い占め騒動はいただけなかったですけどね、、


枝野官房長官は常に国民に報告して、不眠不休な日々。
アメリカで、政界のジャックバウアーだとも言われました。
ジャックを生んだアメリカに言わせるなんて、すごい。

PrayforjapanというTwitterでの感動するつぶやきを集めたサイトもでき、混乱が起きないどころか助け合う日本人を賞賛する海外のニュースだけでなく実際海外の取引先からも日本人のモラルの高さを褒めたたえるメッセージを多数いただき、久しぶりに、、日本人を誇りに思ったのでした。
震災の被害は計り知れないけど、日本は完全に一つになったと感じました。。


ずっと流れる震災の状況や増え続ける死者のニュースを見て、パパは日記に、
なんともひどいことだ、でもこうやって増えすぎた地球上の人口が淘汰され、自分もその一人なのだ、
と書いていました。
パパは本当に、、自分の状態について、パニックにもならず、穏やかに受け入れています。私だったらと思うと、絶対にパニックに陥って自分の運命を嘆いてると思う。パパは本当にすごいよ。。


地震からちょうど一週間がたった18日の金曜日、家族でがんセンターへ呼び出されていました。前月、腫瘍の再発が認められたため今後の治療方法をどうするか、という相談です。
14日にまた撮ったMRIの結果でもやはり、拡大してしまっていました。
11時半に来いと言われていたのに、待合室でひたすら待つこと3時間半、、
途中、パパは辛くなって横になってしまいました。当然です。

震災の影響や計画停電で医療界も大変な騒ぎらしく、パパの担当医N先生は権威でもあるので急きょ会議に呼び出されていて不在、大事な話なのに、話が直接できませんでした。。
でも一緒にチームで診てくれているO先生が、一生懸命対応してくれました。

テモダールだけの治療で再発してしまったので、同じ治療法では効果がなくなってきたと考えるのが普通です。次の治療法について、私たちには3つの選択肢が与えられました。

①テモダール+プロカルバジン
②点滴(カルボプラチン)
③アバスチン

アバスチンは、日本での認証に向け進んでいるところではあるけれども、まだまだ承認には時間がかかるものです。それを、このがんセンターでは、特別審査を通れば患者が使用できるように、頑張って進めてきたというのです。国立であるがんセンターならではだそうです。
やはりこの中で一番強い薬であるのはアバスチンとのこと。
その割に副作用も比較的弱い方である。
ただし、保険適用でないため、ものすごく費用がかかる。
そして気になる点としては、これまでのアバスチンを使った患者さんにたまに見られる、体力が落ちたり症状が少し悪化したなどで薬を中断した場合の予後が悪化するペースが早い、ということが懸念事項だとも聞きました。

ど素人でお金もない私たちはさぁ、どれにする、と言われても途方に暮れるだけ。

先生に、どうするのが一番良いか聞いても、きっと思うところはあるのでしょうが、効果がはっきり出るものでもないため、断言はしませんし、曖昧な言い方に終止します。
お昼もまだだったので、途中、いったんランチ休憩をして自分たちだけで話し合い、その後一時間後にまた先生と話して決断をする、ということになりました。

遅いランチの間、あーでもない、こーでもないといいながら相談してましたが、やはり決まりません。パパは、たまに口をはさんで、高いお金を出す必要はない、ない、とひとしきり言って、あとは任せた、とまた話し合いから抜けます。
先生と話している間も、”もう僕はわからないから家族に任せます・・” と完全に放棄です。
放棄というか、パパは元々無理をしない主義だし、あきらめも早い性格。
ママはあきらめないので、必死に先生にいろいろ質問するのだけどなにせ難しい問題なので判断できずに泣きじゃくる。
そんなママをパパがよしよし、すぐ泣くんだから、、となだめていました。。
今ではよく見る光景です。

私と弟で、曖昧な先生の意見を追求しまくって、なんとか決断に向かいました。

治療というのは通常、強い薬から試して早めに治療を終わらせることを目標としている。
アバスチンが他の抗がん剤と比べて効果があるといっても平均3、4ヶ月程延命効果があるという程度だということ。
なんせ高額のため、一般の人はなかなか続けられないのが普通だということ。

などなど、、これらをふまえ、私たちがなんとか出した結論は、普通はできないのだけどやれるものならやりたい治療法ができるというチャンスがあるのなら、やらずして後悔はしたくない。
お金は二人で協力して、無理はせずに、できるところまで続ける。

アバスチンを、やろう。

休憩前と合わせて約4、5時間が経過していました。
あとは、申請をしてもらって、結果まで約1週間待つことに。

すっかり疲れて、帰ったとたんにパパはすぐに倒れ込むように寝てしまいました。
その日は計画停電が実施され、私も弟もすぐに寝ちゃいました。まだ19時だったのに!
相当疲れてたね、この日は、、。
それでもママだけは寝れずに起きていたそう。

ママは寝れないことがほんとに多く、身体が心配。
私も不眠症の気があるので辛いのはよく知っています。日中は昼寝してるらしいのでまだいいのかなと思うけど。。

本当はこの日からテモダールを始める周期だったのに変更したために治療がいったん中断になったので、早く申請がおりてくれることを願います。