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2011年7月21日木曜日

喧嘩

今、弟とパパが ママを連れて病院へ行きました。
今何時なんだろう、、 2時半だ。もちろん午前です。

それはそれは高額な未承認薬と少し借金を抱えながらの生活。傷病手当期間が終わってしまった今、今後どうするか、について冷静に話し合おうとしていただけだったのに。

仕方のないことだけど、パパママはどうしても客観的視点に欠けてしまっている状態だ。 半ばやけにもなっている。 
話していると、私と弟も冷静さを欠いて 感情的になっていき あげく家族みんなで大ゲンカ。

日頃の疲れ、悲しみ、憤りから ママは見たことがないほど発狂し大声で泣きわめき パパと一緒に死んでもいいなんて言い出し それに対して弟も見たことがないほどに怒り、パパも大声を出してママを責めるなと 私たちに怒った。

責めてるつもりはもちろんないのだけど、パパママに論理的思考なんてもはやできるわけがない。責められているように感じさせてしまったんだ。
でもわかっていても、頑張るって言ってほしかったんだな、、充分すぎるくらい、ママはずっと 頑張っているのに。
それに卑屈なことを言うパパにも、もっと前向きなことを言ってほしかったんだ。
それこそ充分すぎるくらい、誰よりも辛い毎日を過ごしてきているのに。

でも私も弟も 自分たちなりに、できることを精いっぱいやっているし、やっていく覚悟はある。それをないがしろにされた気持ちになって、納得がいかなかったんだな。。つまり私たちも冷静さを欠いていたわけだ。
やっぱり、私たちも 辛いから。


最初こそ大声出してしまったのは私だけど、親兄弟が怒鳴り散らし始めたらさすがにもう言葉は出ない。。なんでそんなことを言うんだろうという悲しみや絶望感でいっぱいだった。

でもそんなに半狂乱になるママは初めてだったし、その辛さ、やり場のない深い悲しみ、憤りはいやというほど伝わった。
大声を張り上げて泣き出したママを見て抱きしめずにはいられなかった。
腕の中で暴れるママを 逃がさないように離さないように しっかりと抱きしめた。ごめんね、ごめんねって言いながら。


頭が痛いって 急に頭を抱えてうずくまり、呼吸が乱れながらも、パパがたまに発狂して家を飛び出していく気持ちがよくわかった、おかしくなったんだと思ってたけど、やり場がなかったんだね、今までごめんねって、泣きじゃくりながらパパに何度も謝った。

パパはずっとママをかばい、背中をさすって優しい言葉をかけ続けた。私たちには、お願いだからママを追い詰めるようなことは言うなと、びっくりするぐらい大きな声で 怒った。

弟はね、ずっと私の味方をしてくれてたんだ。
言っている内容はしごくまともで、優しいことを言っているんだけど、ただ言い方がきついだけなんだよって。内容を聞いてって。

でもパパはずっと謝り続ける。すべての原因はパパにある、ごめんなさいって。 お金をジャバジャバ薬に使わないでいいって 言う。
私は、怒るわけにいかないと思ってたのに、口調はどうしてもきつくなってしまったんだな。。そんな風に言わないでほしいっていう気持ちが強くて。
それでこんなことになってしまった。 原因は私か。。。

今3人は病院にいます。

行く前ママが、(弟)を怒らせてしまったって泣きじゃくりながら謝っていた。
そして ぼーっとしてしまって表情が氷ついた私に抱きついてきて ごめんねごめんねって何度も謝った。一生懸命になって考えてくれてるのにママがわかってなかったね、ごめんねって。さっきずっと抱きしめてくれてありがとうね、ママにはそうやって抱きしめてくれる人がいないから嬉しかったよって、泣きながら 何度もありがとうねって 言ってくれた。

だから言ったでしょ、ママは一人じゃないんだよ。
だからもうどうでもいいなんて言わないでよ。。

すでに大分落ち着いてきてたけど、夜間診察の予約とったから念のためと言って病院へ行った。
弟がいるから安心と思って私は残った。やっと、私も落ち着いてきた。。

しかし、どこか頼りなさげだけど心が優しくて 人情に厚く道理がわかる弟がいて本当によかった。もし一人っ子だったとしたら、心の冷たい兄弟だったら、本当に辛かっただろうし 支えるにしてもかなり限界があるよなぁ。。
いつか子供を持つ日が来たら、最低二人はほしいなとしみじみ感じました。

パパも怒鳴るほどの元気があるのを見て、複雑ながらもちょっと嬉しかった。普段は消え入りそうな声でしゃべっているからね。


しかし、昨夜も調べ物で 寝るのが明け方くらいになってしまって
いたというのに、また寝不足だよ、、、

残業しなくなってもこの生活は変わらないんだなぁ。。

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