Powered By Blogger

2011年9月20日火曜日

恐怖

入院してからのパパは10日以上、

吐き気とめまいに悩まされ
ほぼ寝たきり
食事も水分もほとんどとらず
目もほとんど開けず
しゃべることもせず
「夜が眠れなくて辛い」と訴え
部屋にあるトイレに行くにも車いす、パンツも看護婦さんに下してもらっている

こんな状態だったので、ママが行ってもほぼ寝たっきりで何もできず、毎日通うのでまた疲れがたまってしまっていました。

さらに

看護婦さんや先生にずっと愚痴を言うそうで
「みんなわしをだましている」
「ウソばっかり言う」
ママとばーちゃんが横で小さい声でしゃべっているとナースコールして「あの人たちがうるさいんですよ」と長々と文句。。

あげく、最近では、あんなに弱弱しかったのにすぐに大声を出して奇声をあげたり恐ろしい表情で睨みつけたり、、

ママまでも指差して「あんたは敵だ!」
「どいつもこいつもみんな敵だ!」
「家に帰る、もうこんなところは戻ってこん!」

と、ナースステーションからびっくりして飛んでくるぐらいの大声で叫び、大暴れするというのです。。

ひとしきり暴れたら、また寝たきりで動かない状態。
ママには

「もう帰れ」
「毎日来んでいい!」
手を触ろうものならママの腕をがしっっとすごい力でつかんで睨みつけるそうです。

かといって、ママが昼過ぎまで姿を見せなければ
「まだ来んのか?!」
「遅いぞ!」

と吠えていると、病院からわざわざ電話がかかってきます。

毎日通うママは翻弄され、疲れてきて、病院に行こうと準備をするも身体がつらいと悲鳴をあげているのでしょう、結局行けなかったり、、

決して見捨てるわけではないですが、今のパパは病気がそうさせているのだと、受け入れないといけないと、思う。

無理はしないで、行けない時はしょうがないのだから先生たちにお願いするしかないと、ばーちゃんも私も叔父もみんなでママに言うのですが、「パパがかわいそう」と、眉をしかめながら一点を見つめ、言います。「どうしたらえんかなぁ、、、」



パパが救急車で運ばれて、手術して、新たにがんが見つかって、また辛い治療が始まって、、その時に言った一言が忘れられません。

「わしは楽になれると思って来たのに、、こんなはずじゃなかったんじゃがなぁ、、」

病院へ来る前よりよっぽどひどい状態となってしまったことを、受け止めきれないでいたのです。

今の、悲しいほど変わりきってしまったパパは、そのことが怒りとなってパパのすべてを支配してしまっているかのようです。
腫瘍のせいなのか、これまでの人生に納得できず悔やんでいて怒りの塊となってしまったのか、、
どちらにしろ、本人も周りも苦しいことは確かです。。



その日がいつ来るかいつ来るか、と怯え、いろんな症状に悩まされながら後退したり好転したり、それでもなんとか普通の生活を送っていた、でもそれがもう1年以上も続いていたのです。
なんとなく、その生活がまだまだ続くような気もしていたと思います。

2年という月日は命にしては短すぎる。

でも闘病生活というのは 患者本人にも、その家族にとっても、この1年半は精神的、身体的な負担が続くには長かったようにも思います。。




人間いずれは死ぬ、とわかってはいても、健康な人には実感としてはどうしても感じられないものです。
それを、病気になって「宣告」という形でタイムリミットを突き付けられたのです。

脳梗塞や災害、事故などで突然命を奪われるのも本当に不幸です。
でも数か月、数年という宣告を受けてその間恐怖や苦しみと戦い続けるのもまた 計り知れない不幸だと思います。。

パパは、いつ逝ってもいいんだ、戦うことを諦めないだけ、、というようなことを言っていました。

それでも、、やはり、死というものは受け入れがたいのです。
じわじわとくるものならさらに、、
これほどまでに人間をまったく変えてしまう、恐怖なのです。。

死というものの恐ろしさを、目の当たりにしているような気がします。

怒鳴ったり罵倒することで少しでも発散できるのなら、私たちはそばでひたすら見守るしかないと、、思ってます。





パパがここまでひどくなって、今、残される私たちには未来があるのだということを、今さらのように強く感じました。


もしかしたら、どちらかというと感受性が強すぎ、弱いところのある私たちが、「自分の死」「親の死」というものを受け入れるために、必要な時間、経験だったのかもしれないと、思うようになりました。


できることを、空振りしながらも、それぞれが必死でやってきました。
思い出をなるべく作ろうと、温泉行ったり、香港や韓国まで行ったり、段々やらなくなっていた家族そろっての誕生日会やったり、、
パパはもともと広島の人ですが、遠くから近くから人が会いに来てくれるので、級友や親戚にも会えました。
疎遠になっていて長年気がかりだった、育ての親のような方とも連絡をとることができました。

家族で、今まで過ごしたことのないような、良くも悪くも濃密な時間を過ごし、たくさんたくさん話しをしました。

死について、親と子というものについて、夫婦について、人生について、そして生きるうえでどうありたいかについて、時間をかけて考えさせられました。
悟るには、1年半は短いですが、、



今まではその時その時のパパの状態に一喜一憂、辛い現実を生きているという哀しみが常に心のどこかを覆い、どこか暗く、心の余裕というものがあまりありませんでした。

でもこれからも生きるママも私たちも、一緒になって潰れるわけにはいかないのです。

ここへきて実はやっと、少しずつ、現実を受け入れられるようになってきたように思います。。

パパが安心して、じいちゃんのように、眠ったかのように次の世界へ旅だてられるように、残る私たちは見守り、強くなって、しっかり生きていなければ。そう、思います。




0 件のコメント:

コメントを投稿